散歩による発見。共有・羨望・劣等感

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コラム
暇つぶしを避けた事で、スマホとの距離感に変化が出て、最近考えを整理するための散歩をしているのだが、今日初めて携帯を持たずに散歩に出た。
恐らく自分と同じ空間にスマホがない事なんて、ちょっと記憶にないレベルだった。
それが心地良くて、孤独って素晴らしいと思った。
そしてその喜びを共有したいと思った。
「共有したい」という想いがかなり強くあり、その理由も気になっていた。
過度な共有はADHDの特徴ですというYouTube広告があって、ふーんじゃあADHDなんかなーみたいに思ってたけど、それでは自分が納得出来なくて考えていた。
それは、子供が親に「今日ねこんなことがあってねあのねそれでね」っていう理解して欲しい認めて欲しいわかって欲しいっていう方向の感情であると腑に落ちた。つまりこれも自己の価値を担保するための行動であった。
その気持ちを抑え込まず、素直に理解を求めるアウトプットが出来ていた事はとても良い事であったと感じた。
その上で、自己の価値を自分自身でしっかりと認められていれば、強い欲求としては表れてこないのではないかと思われる。
もうひとつ気になっていた事柄、とっても可愛い子、エロい恰好の子、派手な子を見るととても目を奪われるのもなぜなんだろうと考えていた。
それは、手に入らないもの、自分には届かないもの、という認識があったからだという理由が腑に落ちた。
もしいつでも手に入るもの、すぐ実現するものであれば、心奪われる事はないだろう。
自分が気に入ったり欲しいなーと思うものがお手頃価格だったら、欲しいから買おう~で終わるけど、いいなーって思いながらとても手の届かない金額だったら、偶然目にした時に、「おっ」となって目で追ってしまうんじゃないだろうか。
そんな羨望と劣等感の混ざったものだと推測される。
つまり自己の価値を自分自身で見限っていたのだ。
それは例えば富・名声・力を持っている人に対しても同じ方向の感情があった。
変に気を遣ってみたり、へりくだってみたり、その人に対して自分を下に置いていた。
社会的な価値観や常識にまんまとのっかって、その価値判断をそのまま自分にスライドして用いていた。
そろそろそういうのは手放していきたいところだ。
その自由な姿で生きる事によって、実は誰も望んでいない同調圧力から周囲の人達が解放されるきっかけになるかもしれない。
そのくらいのポジティブシンキングでちょうど良さそうだ。
話を戻して異性に対しての好みも、植え付けられた価値観や好み以外の感情に依っている可能性が多々ありそうなので、自分本来の価値判断を精査していきたいと思う。
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