頭と心は別物である、というお話

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コラム
普段はこちらのスペースをお借りして日記を書き連ねている私なのですが、今回はちょっと真面目にメンタルとストレスに関してのお話。たまにはね!

ストレスをしっかり認識することは大事やで」というのが主題です。

難しい用語は使わず、さらっと書いていきます。さらっと。

よく悩み相談をするとき、

「そんなこと気にするな」
「忘れろ」

と言われることがありますよね。
私も今までの人生で何度も聞いてきたセリフです。

私はその言葉を言うことが悪いとは思わないし、相手のことを気遣って言ってあげているのだと理解はしています。
その人なりの優しさとも言えますよね。

だから今から書くことも、「そんなこと言うたらアカンねんで!」という主旨ではないと前置きしておきます。


その上であえて言うならば、

気にしないというのは実際には不可能」ということです。
それはなぜか。


例えば、朝起きたら体が動かなかったという人がいます。
これといって身体に問題があるわけでもなく、至って健康。
しかし現実として体は動かない。

これはうつ病の身体症状なのですが、当の本人はそれと自覚できておらず、「なぜ?」と疑問に思ってしまいます。

つまり、実際には自分がストレスを受け続けて限界が来たにも関わらず、それを認識できていないという状況。

「それだけ重大なことになっておきながら自分が認識できていないなんて有り得る?」と思う方もおられるかもしれませんが、全くおかしなことではありません。


例えば、

・生真面目だったり、妥協を許せない性格、または社会人としての義務感が強い
・常日頃からストレスを受け続けているせいで、それが当たり前という感覚
・幼い頃から親に「ガマンしなさい!」と言われて育てられたり、「自分がしっかりしなきゃ」と思いながら生きてきた

という方がいます。

こういうタイプの方は本当に、自分が嫌だと思っているのかが自分で分からないんですね。

しかしそれはストレスに強くなったとか耐性がついたという意味ではなく、ただ単に感覚がマヒしてしまっているということなんです。

そうした中でコップに少しずつ水が注がれるようにストレスが蓄積され、それが溢れ出たときが限界を迎えたとき。

それが上の例で言う「突然朝起きたら体が動かなかった」という状態なわけです。

ここまで大げさでなくとも、「何となく最近肩こりがする」「ふとした瞬間に涙が出ることがある」なども同様です。

つまり頭で認識できているか否かに関わらず、ストレスはしっかり心に蓄積されているし、放置していると何らかの形で現れてしまうということになります。

それは、自分が気にしないようにしていても同じこと。

上記の考え方を踏まえれば、「気にするな」という言葉も時と場合によりけりと言えます。

「俺はお前のミスを怒っていない。だからお前も気に病むな」と言ってあげるのは、相手の心理的負担を軽くしてあげようという優しさです。
なのでそれがダメだなどと言うつもりは全くありません。

しかしその一方、既に起こってしまった出来事を見て見ぬ振りしようとしても、心にはしっかりストレスとして蓄積されてしまっているというのもまた、事実ではあります。

頭でどう考えていようと、本心は嘘をつけないのですね。

ではどうすれば良いのか


アドバイスをする方は、「そうは言っても気になるものは気になるよな!」という前提で、じっくり話を聞いてあげることが大切。

相手の話を否定せず、頭ごなしに結論を押し付けたりもせず、ただひたすら聞いてあげる。
それだけで案外、人の心はスッキリするものです。(だから私のような愚痴聞きというお仕事が成立しているのですしね)


悩みを持つ本人であれば、自分で自分に無理やり言い聞かせることはせず、本心に対して常に正直であることが必要になってきます。

嫌なものは嫌、傷ついたことは傷ついたと正直に認識すること。

その上で誰かに悩みを打ち明けるのも良いですし、改善できないのであれば、ストレスの元から距離を取るのも手段の一つです。

しかしいずれにせよ、自分のことをしっかり認識するというのがスタート地点といえます。

まとめると、

・本心は嘘をつけない。見ないふりをしていてもストレスは心に蓄積されている
・放置しているといずれ何らかの形で限界が来てしまう
・嫌なものは嫌としっかり認識し、ストレスに対処しよう

ということでした!

忙しい現代だからこそ、たまには自分の心に耳を傾けるゆとりを持ちたいですね。
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