「明るい自分」を演じ続けて、疲れていませんか?
人と会っているときは、普通に話せる。
笑うこともできるし、「楽しかった」とも言える。
それなのに家に帰った途端、どっと疲れてしまう。
「今日、そんなに何かしたかな?」
「楽しかったはずなのに、どうしてこんなに疲れているんだろう?」
そんな経験はありませんか?
もしかすると、疲れている理由は「人と会ったから」だけではないのかもしれません。
本当は疲れていたけれど、明るく振る舞っていた。
少し傷ついたけれど、笑って流した。
断りたかったけれど、「いいよ」と答えた。
心配をかけたくなくて、「大丈夫」と言った。
こうした小さなことを、一日の中で何度も繰り返していたとしたら。
身体は座っていただけでも、心はずっと働いていたのかもしれません。
僕も、人と話していると相手の表情や声の変化、場の空気など、いろいろなことが気になることがあります。
「この話をして大丈夫かな」
「相手は楽しんでいるかな」
「変なことを言っていなかったかな」
そして、その場では普通に過ごしていても、一人になってから疲れを感じることがあります。
そんなときに大切にしたいのは、
「もっと気にしないようにしよう」
と自分を変えようとすることより、
「今日もいろいろなことを感じながら、人と関わっていたんだな」
と気づいてあげることだと思っています。
「人付き合いが苦手だから疲れる」
「自分は体力がないからダメ」
「みんな普通にできているのに」
そんなふうに自分を責めてしまうと、疲れている心に、さらにダメージを与えてしまいます。
もし今日、人と会ったあとに疲れていたら、一度だけ自分に聞いてみてください。
「今日、どんな自分を演じていた?」
元気な自分。
怒らない自分。
何でも受け入れる自分。
ちゃんとしている自分。
いつも笑っている自分。
もしかすると、その中に「本当は少し無理していた自分」が見つかるかもしれません。
見つけても、すぐに変える必要はありません。
「本当は嫌だったんだね」
「本当は疲れていたんだね」
「本当は断りたかったんだね」
まずは、それだけでもいいと思うんです。
自分の本音が少しずつわかるようになると、「なぜこんなに疲れるんだろう」という正体のわからない苦しさが、少しずつ言葉になっていきます。
そして言葉になれば、
「次は少し早めに帰ろう」
「今日は無理して話さなくてもいいかな」
「これは断ってもいいかもしれない」
そんなふうに、自分を守る選択肢も見つけやすくなります。
誰かの前で明るくいられることは、素敵なことだと思います。
でも、365日、24時間、明るい自分でいる必要はありません。
せめて一人になったときくらい、
「今日は、頑張って明るくしていたな」
と、自分に気づいてあげてください。
そしてもし、一人で考えているうちに、
「自分が本当はどう感じているのかわからない」
「誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい」
そんな気持ちが出てきたら、それも大切な心からのサインなのかもしれません。
答えを出すためではなく、ただ言葉にしてみる。
誰かに話すことで、初めて気づく自分の本音もあります。
明るく話さなくてもいい。
きれいにまとめなくてもいい。
結論がなくてもいい。
そんな時間があってもいいと、僕は思っています。