【自己紹介】何でもやる人生に至った理由

記事
コラム
※※※日記感覚で随時追記しています※※※

はじめまして。

なんでもしているフリーランス
西門 幸輝(にしかど こうき)です。
あだ名は"さいもん"(よく呼び間違えられる名前)

1995年11月6日生まれ。
生まれも育ちも大阪。生粋の浪花っ子!
現在は東京在住(3年目)

偏差値36 Fラン学歴
集団に群がるのが苦手(←理由は後ほど)
普段はマイペース
でもやる時はテキパキ終わらせる

シャイな性格ではあるものの
仲良くなるとお喋り。
体を動かすことが気分転換!
(※野球・水泳・剣道経験者)


【いま取り組んでいること】
ウーバーイーツ、マーケティング、デザイン、画像・動画編集、ポイ活、アフィリエイト、楽天ROOM、暗号通貨投資、ライターなど…

【これまで経験したこと】
週刊誌の取材、インタビュー、書籍の出版、食品製造、イベントの主催・運営・設営、引越し、ポスティング、遺品整理、USJのキャスト、特殊清掃、家電・家具配送、携帯販売、ユーチューバー、宅配の仕分、ポスティング、アンケートモニター、せどり、サクラ役、書籍の出版

【趣味・好きなこと】
野球(阪神ファン)、旅行(42都道府県制覇)、DIY、ドライブ、サイクリング、筋トレ、節約、人間観察、ガジェット(特にスマホ)、ミニマリスト、ゲーム

ざっくりとした紹介は以上です。

たまたま見てくれた方はご縁かと思いますので、

ここからは内容の濃すぎる人生経歴を詳しくご紹介いたします。



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これまでの生い立ち


小1
はじめていじめられる
この時はすぐに親に泣きついたこともあり
すぐにいじめはなくなった。

小3
学校で死にかける
喧嘩でたまたま近くにいた自分に
なぜかハサミを刺され、タヒろされかけるww

小5
2回目のいじめ
悪口当たり前。
特に理科の実験に使っていた食塩を
羽交い締めにされ
顔いっぱいにつけられたのはキツかった。

小1のときとは比にならないレベル。
このときは親にも言えなかった。

唯一の救いは
同じタイミングでもう一人いじめられていた子がいて
奇跡的にその子と仲良くなれたこと。

その子がいなかったら、
間違いなく終わってた。

原因はわからないが
しばらく経つといじめは自然と無くなった。

小6 
リーマンショックで家庭崩壊へ
世界はリーマンショックに。
父の勤めていた会社も人員削減でリストラ。

その後ストレスが原因で
自分の目の前で父が突然倒れた。

それまで専業主婦だった母も
パートに勤めることになった。

これまで安定した家庭だったが
突然歯車が狂った。




運命の出会い→ネット依存へ

中1
ネットの世界に目覚める
母のおかげで家庭はなんとか立て直した。
そんな中、運命的な出会いをする。

家電量販店でたまたま見つけたiPod touchに一目惚れ。

パソコンは高価。
家計は苦しく、とても買ってもらえる状態ではなかった。

ゲーム以外の物欲はなかったが
どうしても欲しかった。
そこで祖父に直訴。
親に隠れて何とか買ってもらえた。

ゲーム、音楽、インターネット
全部手のひら1つに収まることにただただ感動。

それまでインターネットには
ほとんど触れていなかった。
が、これをきっかけにネットに没頭し始める。

昔から野球好きで
中学時代は野球部に所属していたが
ネットにハマりすぎてしまった結果

野球はもちろん
友達と遊ぶことすら犠牲になった
それほとネットの世界に入り込んだ

中2  
ネット廃人化
さらにネットの世界にのめり込む。
オンラインゲーム、掲示板で書き込んだり、
Amebaブログを作って日記感覚で更新もしたり。
依存状態だった。

夏休み期間中は1週間家にひきこもっていた。
進むネット廃人化。
その結果、勉強も疎かになり始め
テストの点数も1桁台が当たり前になった。

中3  
生活に支障が出始める
周囲は高校受験に向けて勉強を本格化。

だがネットに没頭してしまった結果
受験期間際で偏差値36。
進学先が限られてしまった。

当時は思春期で女の子に対して苦手意識があった。
偶然、偏差値に見合った男子校があったこと。

また家庭の影響で将来安泰の公務員を視野に入れ
合格に力をいれている専門学科があったことから
男子校への進学を決意を決意した。

受験は形としてはあったが
名前さえ書ければ全員合格みたいな甘々基準
受験勉強3日で難なく進学成功した(笑)


本性を見せた高校期

無事に進学を果たし
安心したのも束の間。

入学後に自身の本当の人間性が露呈される。

クラス内に中学の同級生が誰もいない。
完全アウェーな環境だった。

この時はさほど重く受け取っておらず
「時間が経てば自然と仲良くなれる」
かなり楽観的に捉えていた。

しかし中学時代
ネットにのめり込んだが故
学校以外で人との交流がなかった。

そのため自分自身が重度の人見知りという
重大な事実に気がつかなかった。
そしてここで本性が出てしまう。

入学から1週間後
2泊3日で交流を深める行事があった。

だが相変わらず自分から声をかける勇気がない。
しかもこの極限状態で3日間の拘束。
いきなり変わった環境には無理があった。

2日目
心身共に限界が訪れ
学年全員が集まる前で倒れた。

最終日
丸一日医務室で寝込んだ。

友達を作るどころか
交流のチャンスも逃した。

何の進展もなく帰校
そして最初の登校。

朝、教室に入ると
あちこちでグループが生まれていた。

高校生活ぼっちが確定した瞬間だった。

学校にいても声を出すことはない。
いじめられていたときより
孤独であるほうが辛かったかもしれない。

特に地獄だったのが高校生活で初の遠足。
現地で行動するグループ決め。

当然友達がいないので残り物扱い。
案の定、最後まで残り
余ったグループに入れられた。

既に仲良くなったメンバーを背に
後ろで犬の散歩のように
一人黙って付いて行く自分。

そんな自分の姿が情けなくて
何度も泣きそうになった。

けど、一人で泣いているのは
周りから見れば、普通にやばい光景
必死に堪えた。

これ以降、学校行事は拷問行事になった。

辛くて孤独すぎる毎日。
初めて命を絶つことを考えはじめた。

電車通学だったこともあり
電車に飛び込んで死んでやろう。

毎日が辛すぎて数えきれないくらい考えていた。

でも怖くて出来なかった。
タヒぬ勇気すらこのときはなかった。

生き地獄だった。
どうすれば良いのかわからない。

自分の未熟さに毎日情けなさを感じた。
そんな日々が1年ほど続いた。

2年になったある日。
相変わらずぼっちの自分に一通のメールがきた。

中学時代の友人だった。
久しぶりに遊ぼうと誘ってくれた。

中学の時は特別仲が良かったわけではない。
でも誘ってくれたことがなによりも嬉しかった。

連絡がなかったら今の自分はいなかった。
漆黒の暗闇に差し込んだ生きる希望の光。
自分にとって、大きな転機だった。

運良くその子とは
学校が近かったこともあり
ほぼ毎日遊んだ。

もう一つ幸運が訪れた。
自分がいた学科のクラス数が少なかったこともあり
3年間ほぼ同じ顔ぶれで過ごせた。

そのため2年以降は自然と交流ができるようになった。

仲の良い友達こそ出来なかったものの
旧友との再会が大きなきっかけとなった。

ぼっちが辛すぎたあまり、勉強より友人を優先した。

そのため高卒で就職はできなかったため、
専門学校へ進学することを決意。
そこで本格的に公務員を目指すことにした。



天国から地獄に落ちた専門学生期

1年制の専門学校に進学したわけだが
いきなり試練が訪れた。

高校の同級生など知り合いがまたいない。
再びゼロからのスタートだ。

高校入学時と同じ状況。
ただ一度同じ環境を経験したこともあってか
多少は慣れていたのでパニックになることはなかった。

そんなこともあってか、
入学してすぐに友達が出来た。

学校が楽しい!!
こんな感覚は久しぶりで嬉しかった。
普通の人からすればごく当たり前のことではある。

でも私自身はどれだけ幸せであるか痛感した。
もう余計なことを考えずに公務員合格に向けて取り組める。
勉強も集中して取り組め、まさに順調だった。

しかし、すぐに終わりを告げる。
入学から3ヶ月がたったある日のことだった。

その友達が中〜高校時代にいじめられていたことがわかり、
たちまちクラス中に知れ渡った。

理由はそれだけだが
これをきっかけに友達がクラス内から仲間外れにされた。

中には私物を隠したりする酷い人間もいた。
最初のうちは気にしなかったものの
やがて自分も標的に。
クラスメイトに距離を置かれる存在になった。

もう仲間外れにされるのは嫌。
危機感を覚えた私は友達と距離を置いた。

それまで毎日一緒に帰っていたが
避けるように逃げた。

時にはいじめに近い行動をし
加害者にもなってしまった。

嫌われたくない。
その一心で毎日必死だった。

やがて友達は不登校となり
退学した。

これでまた平和が訪れる。
期待していた。

しかし友達がいなくなった後も
自分に接してくれる人はいなかった。

これまではいじめられていた側だっただけに
いじめに加担してしまった強い罪悪感。

自分で居場所を消し去ったこと。
なにより一緒に過ごしていた友達を裏切ったこと。

連絡も取れなくなり一生の後悔ができてしまった。

残された自分。
また孤独な日々が始まった。

誰にも相手にされない毎日。
しばらく経ったある日。
自分のことを気にかけてくれるクラスメイトがいた。

もちろん嬉しかった反面
この時は申し訳なさが強かった。

また同じ目に遭うのではないか。

とにかくその子が被害者になって欲しくない。

余計なことを考えてしまい
結局自分から仲良くすることはしなかった。

こんな環境下になってしまったため
まともに勉強に集中できる状態ではない。

やがて不登校になってしまった。

なんとか卒業資格は得られたが
最後の卒業式は出席せずに専門学生生活を終えた。

公務員になれなかった後悔よりも
いじめに加担して味方に出来なかった友達への後悔が100倍強かった。



青春の就職浪人期

1年制ではあったが
合格ができなかった場合
特例でもう一年通えることも可能だった。

しかし学校にはもう懲り懲りだった。

勉強に集中するべく
自力で公務員試験にチャレンジすることを決めた。

すると浪人生活が始まってすぐ彼女ができた。
これまで対人関係でトラブルが続き
恋愛など頭にもなかった。

自分にとって、はじめてちゃんとお付き合いをした。

マッチングアプリで出会ったのだが、
奇跡的に顔を合わせる前から意気投合。
出会ってすぐに付き合った。

居心地が良くて
初めて頑張るモチベーションが生まれた。
毎晩電話でたわいもない話をしたりして、勉強も順調。

大の勉強嫌いだったが
彼女のおかげで充実した毎日を送ることができた。

その甲斐もあってか、本命の筆記試験に合格した!
残す面接試験に臨もうとしていたときだった。

面接試験前日。
突然のことだった。
試験地である福岡へ向かう夜行バスの車内だった。

突然一通のLINEが入った。
「別れよう」
一言送られてきた。

付き合ってまもなく1年。
大きな喧嘩もなかっただけに
頭が真っ白になった。

翌朝すぐに電話をした。
事情を聞き出そうとした。
しかし彼女の発する言葉は終始「ごめん」の一言のみ。

理由もなく一方的に別れを告げる彼女。
さすがに納得出来なかった。

会って直接話そうと告げた。しかし
「もう顔も見たくないし、会う気もない」
これを最後に一方的に連絡が途絶えてしまった。

まさかの試験当日に失恋。
合格したら結婚することも視野にいれていた。

それだけに涙を堪えきれず
早朝の博多駅のトイレで一人大号泣(笑)

もう面接どころではなくなった。
その日の記憶はほとんどなかった。

結局不合格に終わり
大事な1年の浪人が終わった。



失恋・無職・二度目の裏切られ期

人生初の失恋。
公務員にもなれなかった。
完全に志す意欲もなくしてしまった。

なにもかも燃え尽きた気分。
無職ニート。

何の意欲もなく、無気力状態。

バイトや派遣で働き、
漠然とした毎日を過ごす。

22歳
突然の連絡がきた。
数少ない中で唯一関わりのあった高校時代の同級生だった。
「久しぶりにご飯に行こう」
卒業以降一度も会っていなかっただけに嬉しかった。

すぐに予定を合わせ、翌日会うことに。
この時は予想だにしていなかった。

その日は焼肉を食べながら
思い出話などたわいもない時間を過ごした。

よほど楽しかったのか
帰り際に向こうから「また会おう!」
そう言ってこの日は別れた。

すると次の日すぐに彼から連絡がきた
「楽し過ぎたから早くまた会おう」
まるでカップルが言いそうなことだが(笑)

自分自身も楽しかっただけにノリ気だった。
でもやたらと早く会いたがる彼に少し違和感を覚えたが
またすぐに会うことになった。

2日後
今度はファミレスでご飯を食べることに。

ここで彼の本性が現れた。
「今の人生について満足してる?」
「お金稼いで自分変えようよ!」
疑いから確信に変わった。

以前にも同じ経験があったからだ。
マッチングアプリで彼女と出会う前にも
同じ手法でマルチ商法に勧誘されたからだ。

当時は無知な状態だったこともあり
その日に入会させられたカモだった(笑)

幸いすぐマルチだと言うことに気づき
大きな被害等はなかったが
まさか友人が、、、

真面目な性格だった彼だけにショックだった。
もちろん丁重に断ってすぐに帰った。

そして帰り際に質問してみた。
「最初から勧誘するために連絡したん?」
「そうよ!」
自分のことを金として見ていなかった。
と、同時に強烈な虚無感に襲われた。

高校時代の数少ない友人だっただけに
裏切られた気分。

彼からしてみれば
「内気なやつだからなんでも従ってくれそう」
そう見えたのかもしれない。

以降、彼からの連絡は一切なくなった。


23歳
天国から再び地獄へ

そんな日々を再び送る中、
Twitterでたまたま流れてきた
西日本豪雨の災害ボランティアの募集

酷い惨状をテレビで見ていたこともあり
初めてボランティアに参加した。
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泥だらけになった家財道具などを運び出し、
涙を流しながら感謝する住民。

人の役に立つことに価値を感じた初めての瞬間だった。

これをきっかけに
少しずつ自分の中で心境が変わった。

それまで苦手だった
人と接することに対しての抵抗感が緩和された気がした。

それからすぐ経ったある日。
街中で見かけたウーバー配達員に興味を持った。

まだ何者かもわからなかったが
自由に稼いで働けるライフスタイルに釘付けになった。

当時は大阪で配達できる範囲も限られていたこと。
そして人生で一度は東京暮らしを経験してみたい思いもあった。

なにより停滞していた状況を打破するためには絶好の機会だ。
勇気を出して東京に引っ越すことを決意した。



転機の上京期

24歳
右も左も初めて。
親元を離れて初めて一人での生活。

10万ちょっとのお金を握りしめて
板橋にあるシェアハウスに入居。

盾も何もない状態だった
でも不安より期待のほうが大きかった。

アメリカ人、イギリス人などが住む家で国際色豊か。
歓迎パーティーも開いてくれたこともあり、
すぐにみんなと仲良くできた。
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この頃から人見知りは格段に緩和された。

ウーバーイーツの配達もすぐに慣れた。
月30万以上稼げ、好きな時に休めて気楽。
想像していた100倍充実した東京生活だった。

しかし上京から半年が過ぎた頃。
コロナがやってきてしまった。

容易に外に出られなくなり
仕事も休まざる終えない状況だった。

そんな自粛期間中に取り組んだことこそ
アフィリエイトだった。

マーケティング、サイトのデザイン、記事の構成や集客など
すべて一人で学ぶ必要があった。

でもネットに関しては
中学から病的に接していたこともあり
やってみると意外と自分に合っていた。

お金を稼ぐというよりも
暇つぶし感覚で取り組んでいたが
幸運にも始めて半年後には収益が発生した。

有難いことに情報発信を通じて
週刊誌の取材やインタビューをさせていただき
本の出版も経験した

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同時にTwitterの情報発信を始め
1000人以上フォローしていただけ
イベントの主催もやらせていただいた。
(捨て垢で始めたが故、ログインできなくなって再び捨て垢にw)

2022年現在アフィリでは30万円ほど売り上げることが出来た。

独学だったこともあり、個人的に大きな自信になった。

いろいろあったからこそ個人的にはフリーランスが居心地がいい。

自己管理が大変な面もあるが
余計なことを考えず、自分のやりたいことに取り組める
それが今のなによりの幸せ。

また自分で実績を作れると
人より強くなれた気がして頑張れる。

対人トラブルだらけの思春期だったので
大勢の輪に入るのは苦手意識は未だに強く残っている。

でもネットが普及した現代だからこそ
一人でも何でもできるのは本当に良い時代に生まれた。

これだけは唯一現代のハンデと感じている。


波瀾の2022年へ…

仕事、プライベート
これまでの人生で一番充実した生活であったが、

2022年になったと同時に突然終わりを迎えた。

年が明けてすぐにやってきた。
突然のシェアハウス閉鎖の通告。
理由はコロナによる入居者減少。

このご時世どうなるかわからない。
人生で初めてホームレスの危機を迎えた。

焦りに焦って、必死に探し回った。
結果、固定費をなるべく維持するため、
一人暮らしではなく再びシェアハウスを選んだ。

引越しと同時に
ウーバーイーツの専業にも限界を感じ始めた。

報酬単価の低下も一因だが
引越し機に心機一転
アフィリエイトで稼いだ実績を活かそうと思ったからだ。

またボランティア経験を通じて
人の役にたつことの大切さも感じさせられた。

これらを踏まえて
今後は興味のあることは全部やりながら
社会にも貢献していきたいと思う。

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以上が
私の26年の経歴でした。

山あり谷あり。
いや、谷だらけの過去ではありましたが
その分現在は心身ともに
ほんの少しは成長できたかなと思います。

苦難が続くご時世ではありますが
少しでも共感できることがあれば幸いです。

かなりの長文になりましたが
最後までご覧いただきありがとうございました!
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