おはようございます。
橘アスカです。
今日は『三度死にかけたお話』でもします。
なぜこのお話をするかというと、自己PRがヘタクソすぎるからです。
HSP特有だそうですが、自分を「経験豊富」「自信があります」と言えないんですねー。
向上心が高くて、今の自分に満足しないのは良いことでもあります。
ただ、お客様の期待に応えられないのが怖かったり…。
考えても仕方のないことが頭を巡って、プロフィールやサービスに書けない…やっかいな気質。
代わりにすんなり書きやすいのが、弱点とデメリット。
自分の至らないところならどんどん書けてしまう。
それではお客様を不安にさせることはあっても、安心や信頼からは程遠い。
私だったら、「経験豊富」「自信がある」と書いてくれている出品者様にお電話したい。
そのため、こんな経験がありますよ、を書くことにしました。
(前置き300文字、ひぃいい…ごめんなさい)
■死にかけた原因
病名は患者数が極端に少ないため伏せますが、三度死にかけた要因は、全て持っている難病です。
■一度目:生後3週間
生まれて3週間で1ヶ月弱の昏睡状態。
生まれて早々、父と母に心配をかけました。
長女だったため、二人の苦悩を思うと辛い…。
でも意識を取り戻した日のことを、母は「二度生まれてくれて、二度喜ばせてくれてありがとう」と日記に残していました。
この時の記憶はまったくありません。
■二度目:21歳
大学時代、前触れもなく2週間昏睡状態に。
目が覚めると母が居て、机には酸化した茶色いりんごが剥かれていました。
いつ意識が戻るか分からないのに。
毎日、好きなものを準備していたそうです。
ふくよかな母が痩せていました。
■自分に生まれた死生観
自分のために生きるのは大事なことです。
それがうまく出来ずに、ずっと悩んでいます。
ただ、この時に強烈に思ったのは、「母より長く生きる」ということ。
誰かのために生きたっていい。
そう思います。
私の中に確たる死生観が生まれた瞬間でした。
母より長く生きる、と思うと身体が反応するようにもなりました。
危険察知してくれる。
若さで無茶をしても、ストッパーが自分の中に生まれたように感じます。
身体が疲れると合併症で入院。
心が疲れるとうつ病や摂食障害で療養。
強制的に休まざるを得ない状況に。
大好きな仕事を休職する不安・罪悪感が大きかった。
症状そのものが辛かった…。
それでも、防衛機能が鋭敏に働くことは、生きるために大事だと受け入れられました。
生きることに執着したら、色々な病気を最終的には糧に出来たのです。
■三度目:38歳
勤務中に倒れ、10日昏睡状態。
1年の休職期間を経て復職。
目覚めた時、側には誰も居ませんでしたが、なんだか爽快な気分でした。
もはや生き戻ることだけは疑っていなかったのかもしれません。
もちろん、意識を手放す瞬間も、昏睡の間も記憶はないのですが。
■今思うこと
先日、母は電話でこんなことを言っていました。
私の妹が母に伝えた言葉です。
「姉ちゃんがお母さんより長く生きると思ってたらダメよ?って言うの」
妹は、母と一緒に暮らしています。
妹は、母が私が先に死んだ時に落胆しすぎないよう、母の想像を少し広げてくれているようです。
想定できないことが起こると、人は苦しみや悲しみが長引いてしまうから。
死んじゃうと母を悲しませるのなら、生きていればいい。
私が今思うのは、
「生きているだけで喜んでくれる人が本当に多い」
「生きているだけで誰かを幸せにしている」
ということです。
使い古された言葉ですが、心底そう思います。
■電話相談に活かせると今やっと思えている…
この経験は電話相談に必ず活きると思えます。
今、こうして書きながらやっとです。
悩みの種は尽きないし、問題の大小も人それぞれ。
喜びだってそうです。
もし、これが誰かの目に届いたら。
その誰かが今辛くて仕方がないのなら。
同じ時間を過ごして、心を寄せ合いたいなと思っています。
自分が急に変わってしまうような何か。
つきものが落ちるような瞬間。
そういう時が来るのを、一緒に待ちましょう。
今は元気もいっぱいで、誰かのためにその元気を使いたい私。
励ましや勇気づけも得意です。
毎日が当たり前にやってきてくれることを、とても有り難いと思っています。
そんな私だからこそ受け止められることがあるはずだと、今自分を鼓舞しています。
あなたと電話で心を通わせるその日を、今から楽しみにしています。
以上、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今日も一日、あなたらしくお過ごしくださいね?
橘 アスカ