物事を印象で考えていませんか?
語感や立ち振る舞い性格や後天的見た目、服装話し方や言葉遣い状況によって使い分けられる言葉の意味の誤読これらによって本質を見誤ってる人がいるのではないかと僕は、考えています。
例えば長文によってその人が悩んでる人つまりメンヘラやヤンデレと言った印象でその人がそういう人と勝っ手に思い込んでいませんか?
僕は人の心理というものを知ることで物事の本質より深く学べると思っています。
なぜならそれらは人が作った物でしかないなら人が作った物をよく知ることが知識を深く理解するのに役立つのではと思います。
こう言われてピント来ない人は、推理力、理解力、記憶力、洞察力、と言った物を一部の天才のみしか持ってない物と考えている可能性があります。
なぜならもし人間が作った物が一部の人のみしか理解できない物で
ある程度は分かるかもしれないが
それ以上分かり得ないと考えていなければそうであると思えないからです。
繰り返しの文に聞こえますがいや私、僕、俺は、そう思わないなぜなら僕には出来て周りの人に出来ている人がいるから。そのように答えるのであればそれは物事を印象で考えてる証拠です。
今言ったその言葉は私が言ってることの正にその人のこと指しているからです。賢さがあれば言葉を抽象化することによってゲシュタルトを作り意味を理解します。
でも情動で物事を考えている人たちはその言葉の意味無視して情動で物事を考えてしまいます。
でもそれ言われて本当にみんな賢さを手に入れることが出来るのか?と疑問を持つと思います。
それはごもっともな話です。
なぜならその証明自体聞いてないからです。
しかし少なくともここで言えることは自覚ということを自覚できないのは自分が自覚という言葉の意味を情動などで見余っているということが言えます。
一部の天才のみしか持っていない物なのかということを証明しようと思います。もし遺伝子で決まる生まれつきで決まるのであれば親がどっちも天才的能力を発揮してる人である場合何もしなくても必ず天才的な能力を発揮することが言えます。
しかしそういう話は聞いたことがありません。
もちろん早熟な人はいるのは事実です。
しかしその人がチェスの世界チャンピオンと初めてチェスをして勝つことはあり得ないのです。訓練の領域で磨くことができるのが賢さというものです。
しかしある程度マサチューセッツ工科大学やカーネギメロン大学まで行くと才能の部分で勝ち負けがあるのかもしれません。
しかし訓練の領域であることは間違いないのです。
それにどんなよく出来てる文章にも必ず理解ができない人というのは出てきます。
なのでその文章を完璧に読み込んだからと言って全て理解できる人になるとは限らないのです。
ではどうすればいいか僕が強くお勧めするのは、苫米地英人さんの本に書いてあるワークを全てやり続けることです。
それさえやっていれば天才になれることを保証します。