先の言葉により情動で判断するということが本質を見誤るということを分かったと思います。
なのでこれからは情動に合わせた言葉を使わず論理について語ろうと思います。
論理と言われて堅苦しいとか融通が利かないとか詭弁の技術だとかそういう嫌なイメージを持ってる人がいます。
そもそもそういった信念は20歳を超えてる人は8割から9割は親のモノマネというデータがあります。つまり親のせいなのです。
しかしそれらを良しとしない一部の自分の信念を持つ人たちもいます。
元々エフィカーが高い人たちです。論理と言われて相対化して勝ち負け決まった時片方は優越感もう片方は劣等感に浸るといったことがあります。
例えばI.Qと聞いて反射的に差別主義だとか、I.Qそのものが絶対であるかのような指標と判断したりします。
何が言いたいかというと論理を勉強したことがない人たちが論理と言っていて勝手にそれを賢いと勘違いしてると言ってるということです。
論理を語るにはディベートをアメリカで学ぶ必要があります。
もしそれができなければ一人ディベートをするべきです。