AI時代の「人間の価値と責任」

AI時代の「人間の価値と責任」

記事
IT・テクノロジー
「貴社にお願いして、本当によかったです」

納品からしばらく経って、発注元の方からこう言ってもらえることがあります。この一言が、なぜこんなに嬉しいのか。

それは、出来栄えが良かったとか、納期が早かったとか、そういうことではありません。「この会社に本当に任せてよかった」と、心から思ってもらえたからだと思っています。

AIがなんでも作れるようになった今だからこそ、私はこの一言に、人間の価値のほとんどが詰まっている気がしています。

発注が決まるとき、人の心では何が起きているか

誰かに仕事を頼もうと決める瞬間、発注者側の心の中では何が起きているでしょうか。

「この会社になら、任せられる」
「この人にお願いすれば、大丈夫」
「この会社だったら、間違いない」

おそらく多くの場合、最後に背中を押しているのは、こうした安心感です。
もちろん金額も実績も見るのですが、最終的に「お願いします」と言わせるのは、数字よりも、この人ならちゃんと最後まで責任を持ってくれそうだ、という信頼だと思います。
人は、その気持ちが生まれてはじめて、頼む相手を決めるのだと思います。

だとすると、逆のことも言えます。
その安心感や信頼が生まれないなら、わざわざあなたにお願いする理由はない、ということです。
もっと身近に対応してくれる人もいるでしょうし、もっと安く対応してくれる人もいるでしょう。
それに、任せて大丈夫だと思えない相手にお金を払うくらいなら、いまはAIを使って自分で進めてしまった方が、早くて安く済む、という選択肢も出てきました。

では、その安心感や信頼は、どこから生まれるのか。

それは実際の仕事の場面で、その人が何をするか。
そこにしか宿らないものだと思います。

同じ依頼に、正反対の向き合い方をする二人

たとえば、業務システムの開発を頼まれたとします。
発注元からの依頼は、こうでした。

「今使っている管理システムに、この機能を追加してほしいんです」

ここに、二人のエンジニアがいたとします。
その「何をするか」の違いを見てみます。

Aさん
「承知しました」とすぐに手を動かします。
いまはAIに仕様を渡せば、それらしいコードがあっという間に出てきますから、それを組み込んで、動いたのを確認して納品します。
仕様書どおり、ちゃんと動いています。
ところが、現場が実際に使い始めると、想定していなかった操作でエラーが出たり、既存の機能と噛み合わずに集計がずれたり、そもそも現場が本当に困っていたことは何も解決していなかったり、ということが起きます。

Bさん
同じ依頼を受けても、すぐにはコードを書き始めません。
まず、「この機能を実現することで、誰が喜ぶんだろう。誰が、どんなふうに救われて、どんな明るい未来につながるんだろう」と想像します。
そのうえで発注元にも、「これで現場の何を良くしたいんですか」と確かめます。
AIにコードを書かせたとしても、出てきたものをそのまま信じず、自分の目でレビューして、実際の業務の流れを想定してテストして、抜けやバグを一つずつ潰していきます。
そして「その作りだと、こういうときに困りませんか。むしろ、こうしておいた方が後々ラクですよ」と、より良い形を提案する。発注元に理由を説明して、納得してもらったうえで作ります。
結果として、現場でちゃんと回り、長く使えるシステムになります。

AさんとBさん、
スピードだけで言うのであれば、BさんよりAさんの方が優秀で、言われたことを、より早く、より正確にコードにするなら、正直なところ、現代ではAさんよりAIの方が優秀です。
でも、Bさんがやってきたこと、つまり「この機能の先で誰が救われるのか」を思い描き、本当のゴールを定め直し、レビューとテストとデバッグを重ねて、責任を持って全体を組み立て直すことは、AさんにもAIにもできません。
発注元が「お願いしてよかった」と言うのが、どちらの相手なのかは、もうはっきりしてます。

「言われた通りに作りました」の、何がそんなに怖いのか

 ここでAさんの姿勢を、もう少し掘り下げます。

発注元から「ここ、こうしてほしい」と言われて、「承知しました、そのように直します」と答える。感じのいい、素直な返事です。話も早い。

でも、そこで思考が止まってしまうなら、そこに人間がいる意味は皆無です。
言われたことを、言われたとおりに形にするだけなら、AIの方が早いですし、何度でも文句を言わずにやり直してくれます。

私はこれを、いわゆる「作業者」と呼んでいます。

ただ発注元の言いなりになって、レビューもテストもせずにそのまま出す仕事は、これからいちばん先に、AIに置き換わっていくところだと思います。

問い直してほしいのは、そこです。
自分は、より良いものを作ろうとしているだろうか。
それとも、ただ言いなりの「作業者」になっていないだろうか。

「AIで作れます」の、その先を訊いてほしい
そして、これは頼む側にとっても、同じくらい大事な見極めになります。

最近は、

「AIコンサルやってます」
「AIを使えば、システム開発ができます」

と謳う人やサービスが、一気に増えました。

それ自体は、悪いことではないと思います。
ただ、頼む側に立ったときには、一度、その先を訊いてみてほしいのです。

その人は、AIが書き出したコードの中身を、本当に分かっているのでしょうか。
動かなくなったときや、思わぬ不具合が出たときに、どこまで自分の責任として引き受けてくれるのでしょうか。
もし何かあったときに「AIが作ったものなので」と言うのだとしたら、そもそも、その人にお願いした意味は、どこにあったのでしょうか。
それなら、もう「AI」に自分たちで指示して作らせたものでも変わらないのではないでしょうか。

AIにコードを書かせること自体は、もう特別なことではなくなりました。
だからこそ、頼む相手を選ぶ基準は、「AIを使えるかどうか」ではなく、「AIが書いたものに、最後まで責任を負えるかどうか」へ移ってきていると思います。
中身を理解して、自分の目で確かめて、必要なら直して、「これで大丈夫です」と自分の言葉で言える人。
そこにこそ、わざわざ人にお願いする価値が残るのだと思います。

AIにコードを書かせる時代に、人間がやるべき仕事

そう考えると、人間の仕事の中身も、はっきりしてきます。

いまは、仕様さえ渡せば、AIがそれらしいコードを書いてくれます。
だから、「言われた通りに実装する」ことそのものの価値は、これからどんどん下がっていくことでしょう。

そんな時代に人間がやるべきなのは、AIが書いたコードを、あるいは自分が書いたコードを、レビューして、テストして、デバッグして、「これは本当に発注元の課題を解決するのか」「もっと良い作りはないのか」まで考え抜き、責任を持って世に出すことだと思います。
作ること自体ではなく、その手前の「そもそも何を作るべきか」という判断と、その奥の「これで大丈夫だと引き受ける」という責任。
価値の重心は、そこへ移っています。

ここの価値はAIには任せられません。なぜならAIは、責任を持てないからです。
「これで成果が出ます」と言い切って、外れたときに、その結果を背負うことができません。
だから、ここが人間の仕事として残る、いちばん確かな場所だと考えています。

発注元は、その仕事に"事業の命運"を賭けている

今回いちばん伝えたいのは、ここです。その「責任」がなぜ重いのか。
忘れてはいけないのは、発注元にとって、その仕事は「ひとつの案件」ではない、ということです。

新しいサービスの売上がかかっていたり、今期の数字がかかっていたり、ときには会社の未来そのものがかかっていたりします。眠れないくらいの想いで、「これで勝負したい」と持ってきていることも珍しくありません。

その仕事に「命」を賭けているのです。

その相手に、中身を考えずに「言われた通りに作りました」と対応するのは、プロとして間違いなく「失格」と言えるでしょう。
そんな人に責任は持てるわけも、信頼が集まるわけもありません。

自分の何気ない「選択」ひとつが、依頼者の事業を沈めてしまうこともあります。
こんなに怖いことはありません。

逆に、その重さを自分ごととして背負えたとき、「この人は、うちの事業を本気で考えてくれている」と感じてもらえます。
そこに信頼が生まれ、安心が生まれ、次もまた「あなたにお願いしたい」につながっていきます。
責任感やコミットを精神論だと笑う人もいますが、私はむしろ、相手の事業を自分ごととして背負えるかどうかが、AI時代にいちばん価値が付くと思っています。

「高い」と言われたとき、本当に考えるべきこと

この「責任」の話は、そのままお金の話にもつながります。
見積もりを出すと、「高いですね」と言われることがあります。正直、憂鬱になる日もあります。

でも、そこで分けて考えたいことがあります。
憂鬱になることと、「自分たちは本当にその金額ぶんの価値を出せているのか」ということは、まったく別の問題だ、ということです。

作る側は、つい原価を積み上げて金額を説明したくなります。
「ここにこれだけ、あそこにこれだけ、だから合計でこの金額です」と。
作る側からすれば、当然の理屈です。

でも、頼む側は、その原価を買っているわけではありません。
買っているのは、その先に生まれる「成果」です。

極端に言えば、大きな費用をかけたものがまったく響かないこともあれば、小さな予算で作ったものが大きく当たることもあります。頼む側にとっての価値は、かけた費用そのものではなく、それがどんな結果を連れてくるか、で決まります。
だから、「費用の説明」と「価値の説明」は、切り分けて考えないといけないのだと思います。

それでも払いたくなるのは、なぜだろう

分かりやすいので、お寿司でたとえてみます。

回転寿司も、十分においしい。こだわりがなければ、それで満足できます。
一方で、高いお寿司には、高いなりの理由があります。お店の雰囲気、大将の腕、ネタの産地、仕込みの手間、鮮度、そして気持ちのいいもてなし。その一つひとつに納得できるから、「今日もごちそうさま」と、気持ちよくお金を払えます。

ここで大事なのは、おいしいものが出てきたという「結果」だけで、その満足が生まれているわけではない、ということです。

お店に入り、席に着いてから帰るまでの、その時間ぜんぶが価値になっています。

仕事も、同じだと思います。
良いものを最後に納品できたか、だけではありません。
どんな提案をして、どう対応したか。
フィードバックにどう向き合い、日々どんなやりとりを重ねたか。

その途中の一つひとつが、コース料理を味わっているような体験になります。

「終わりよければすべてよし」とは、意外とならないものです。
結果と同じくらい、途中も大事なのだと思います。

「この人と考えたい」と思われる存在になると、価格の話は減っていく

そして、もう一つ。
「高い・安い」の勝負から抜け出す方法が、一つだけあると思っています。
それは、「この人と一緒に考えたい」と思ってもらえることです。

ただ作る人でいるかぎり、比べられるのは、どうしても値段になります。
でも、「どうしたらいいと思いますか」と相談される相手になれたとき、話の中心は、費用から離れていきます。

単価が上がり続けるのは、たぶん、早く作れる人ではなく、相手の意思決定ごと責任を持って引き受けられる人です。

だから、問いたいのは、これなのだと思います。

自分は、何を売っているんだろう。

作ることそのものを売っているのか。
それとも、「そもそも何を作るべきか」「どこへ向かうべきか」という判断まで、一緒に背負える存在になれているのか。
そこを超えた先に、価格競争ではない場所があるのだと思います。

この話しは、AIが来る前から変わっていない

ここまで話してきた、責任のことも、価格や介在価値のことも、実は、AIが出てきたから急に生まれた話ではありません。
AIが登場する前から、考え方は何も変わっていないと思います。

自分の存在価値はどこにあるのか。
自分の介在価値とは何なのか。
自分がそこにいる意味は何なのか。

これはずっと昔から、仕事をする人間に問われ続けてきたことでした。
AIは、その問いを消したのではなく、ごまかしが効かなくなるまで、はっきりと見えるようにしただけなのだと思います。

統括・現場責任者・現場担当者 — 座組が教えてくれること

この「間に入る人の価値」が、分かりやすく見えるのが、プロジェクトの座組です。
プロジェクト全体を見る統括責任者(ディレクター)がいて、それを前に進める現場責任者(PM)がいて、細部を一つずつ形にする現場担当者がいます。

もし、統括責任者が一度方向性を示しただけで、そのままプロジェクトが全部その通りにきれいに進むのなら、現場責任者も現場担当者も要りません。
方向性を書いた紙を、そのまま流せば済むからです。
でも実際にはそうならないので、その人たちがいます。

統括の示した方向性を、きちんと理解したうえで現場に落とし込み、さらに「現場がもっとスムーズに進むにはどうすればいいか」「品質をもう一段上げるために自分に何ができるか」を、言われる前から考える。

たとえば、このまま進めたら納期に間に合わないと気づいたときに、「ここを削って、代わりにこう組み替えましょう」と自分から声を上げて、プロジェクトを守る。
そういう人が、自分の仕事に責任を持ち、人から信頼され、その信頼が次の仕事へつながっていきます。

これも、AIが出てくる前も後も、基本の考え方は同じです。
ただ指示を下ろすだけ、ただ受け取るだけの立ち位置は、いちばん先に要らなくなります。
間に入って、プロジェクトの価値を確かに上げられる人だけが残っていく。
それだけのことだと思います。

結局、残るのは「責任を背負える人」だけ

AIが進むほど、「作れること」の価値は下がり続けることでしょう。
整理する、まとめる、形にする。
その多くを、AIが猛烈な速さで肩代わりしていきます。

それでも最後まで残るのは、「このプロジェクトの結果は、私が引き受けます」と言い切れることと、そう言えるだけの覚悟や向き合い方を実際に持っていることだと思います。

AIは、間違えても困りません。
信用を失って夜眠れなくなることも、賠償することも、名前に傷がつくこともないからです。
責任を背負うという行為だけは、どうやってもAIの外側に残ります。

モノが無限に供給される時代になるほど、逆に希少になるのは、「これは信頼していい」という保証です。
それは結局、誰かがそこで名前を懸けて責任を負っている、という事実に支えられています。

だから、AI時代に生き残るのは、いちばん早く作れる人でも、いちばん多く作れる人でもないと思います。
そのプロジェクトを自分ごととして背負い、最後まで責任を持てる人、つまり「あなたにお願いしたい」と言ってもらえる人です。

私たち株式会社Nestle Design Office.が、AI開発やコンサルティングでいちばん大切にしているのも、この線引きです。
作れる部分はAIを基軸に早さを出しつつ、判断や品質、ブランディング、そして責任が問われる部分は、人間が名前を懸けて引き受ける。
ただ言われた通りに作るのではなく、一度かならず自分の頭を通し、中身を理解して、レビューとテストを重ねて、「これで成果が出る」と言える形にしてお返しする。
それが、AIがなんでも作れるこの時代に、わざわざ私たちに頼んでいただく理由だと考えています。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す