教師のストレスと余裕のなさ
体罰は、決して許されるものではありません。
けれど、学校で体罰が発生する背景を考えるとき、教師個人の性格だけで片づけることはできません。
その一つに、教師自身の強いストレスと余裕のなさがあります。
学校現場では、教師は授業だけをしているわけではありません。
学級経営、生徒指導、保護者対応、部活動、成績処理、行事準備、会議、書類作成。
さらに、発達特性、不登校、いじめ、家庭環境の問題など、一人ひとりの子どもに合わせた対応も求められます。
本来なら、子どもに丁寧に関わるためには、教師自身にも心の余白が必要です。
ところが、その余白が失われたとき、指導は荒くなりやすくなります。
たとえば、朝から保護者対応に追われ、休み時間もトラブル対応、昼食もほとんど取れず、放課後は部活動。
その日の最後に、生徒がふざけて友達を押した。
普段なら落ち着いて話を聞ける教師でも、疲労が限界に達していると、「何度言ったらわかるんだ!」と感情が爆発してしまうことがあります。
もちろん、それでも体罰は許されません。疲れていたから叩いてよい、ということにはなりません。
しかし、体罰を本気でなくしたいなら、「叩いた教師が悪い」で終わらせるだけでは不十分です。
なぜその教師が、言葉ではなく力に頼るところまで追い詰められていたのか。
学校の体制に無理はなかったのか。
相談できる同僚はいたのか。
管理職は支えていたのか。
そうした視点も必要です。
人は余裕を失うと、視野が狭くなります。
子どもの事情を想像する力が弱まります。
「なぜこの子は困った行動をするのか」ではなく、「なぜ自分を困らせるのか」と受け取ってしまいます。
そのとき、教育は対話ではなく、支配に近づいてしまいます。
だからこそ、学校には教師を孤立させない仕組みが必要です。
複数で生徒を見る体制、相談できる職員室、部活動の負担軽減、専門職との連携、感情的になる前に交代できる仕組み。
子どもを守るためには、教師を甘やかすのではなく、教師が暴力に逃げなくてすむ環境を作ることが大切です。
体罰の背景には、子どもの問題だけではなく、大人の余裕のなさが隠れていることがあります。