人は今に満足していると主張がなくなっていきます。
言葉を並べる必要を感じなくなる。
もし、まだ何かを訴えているなら、
それは、どこかに足りなさを感じているのだと思います。
たとえばですが、SNSでの発信や、そこでの議論も、
何かの承認を得たい衝動も、
多くはその足りなさの延長線でしょう。
でも、それが悪いわけじゃない。
人は、欠けを感じるからこそ、動き出せる。
ただ、その欠けを埋めるために自分の軸を捨て、
外の世界に求め続けていると欠けは欠けたままでしょう。
心の中の「こうなりたい」「こうでなければ」という声が静かになってきたとき、
社会の中にいる私で生きてきたことから離れ始め、
私として社会の中に生きることを始める。
誰かに認められるためでも、
理解されるためでもなく、
ただ、私として生きる。
自我の役割が減っていき、今まで手放してきた自由を知ります。
到達ではなくて、還ること。
外に求めていたすべてが、
すでに内に在ったことを思い出します。