大人になると、
「育ててくれた親に反発するなんて…」
そんなふうに、自分の感情にフタをしてしまうことがあります。
でも――
本音を見ないままの“感謝”は、ただの演技です。
たとえば──
ある人は、何かを決めるたびに
「本当にそれでいいの?」と母親に聞かれて育ちました。
過干渉というほどではないけれど、
ただ心配性で、確認が多いだけの母親。
けれど、その“問い直し”は
「あなたの判断は信用できない」という
無言のメッセージのように聞こえていた。
気づけば、誰かに確認してもらわないと
安心できない自分が出来上がっていたのです。
また別の人は、小学生の頃に夢中で描いていた絵を
父親に「そんなの描いてどうするんだ」と一蹴された。
言い返すことはできなかった。
その言葉は、何かを始めるたびに頭をよぎる。
「それって意味あるの?」
最初から“他人の目”で自分をジャッジしてしまう、
始める前からフタをしてしまう癖になっていた。
こうした経験は、表面から見れば大したことがないように思えるかもしれません。
そのまま過ごしていると忘れてしまうもの。
でも「私」の中では、確かに何かが閉じたのです。
感情の蓋が、そっと音もなく降りた瞬間。
けれど、蓋を閉じる前には、きっと反発があった。
怒りたかったのは、分かってほしかったから。
否定したかったのは、自分の輪郭を守りたかったから。
受け入れられたくて、喜んでもらいたくて、
「本当の私」でぶつかりたかったのかもしれません。
“良い子”に執着するほど、
その傷は見えなくなっていく。
感謝も、愛情も、どこか遠くにぼやけていく。
心の中には、未完の対話が眠っています。
だからこそ、まずはその蓋を開けること。
怒っていた「わたし」に、もう一度出会いなおすこと。
そこからしか、本当の感謝も、
純粋な親子関係も、始まりません。