禅と茶と瞑想と 和尚の講和より

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和尚の弟子サニヤシン

である友人のSw Manishが

文字起こししてくれた

インドの神秘家

和尚OSHOの講話を

以下に転載する



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禅の人にとっては

あらゆることが神聖だ

一杯のお茶を飲むことさえも



彼が何をしようと

まるで聖なるスペースに

いるかのように振る舞う。

禅には神はいない



禅にはあなたと

あなたの意識しか

存在しない

あなたの意識こそが

今に至るまで存在の中で

最高の開花だ



それはまだ

高く行くことができる

そしてそれを

より高める方法は

自分の全生活が

神聖なるものになるように

あなたの人生を

創造することだ



一杯の茶とは

もっともありふれたものだが

彼らはどの禅寺にも

美しい木々や池のそばに

茶室を作る



その茶室に入るとき、

人は靴を脱ぐ

そして禅が言うのは、

『靴を脱ぐところに

自分を置いておきなさい』

ということだ



だから

その茶室には

人は完全に純粋で

無垢になって入る



茶室の中では誰も

口をきかない

沈黙が深まるだけだ



誰もが禅の

瞑想の姿勢で坐る

茶釜に湯が準備され

その釜の音には

導師の言葉を

聞くのと同じように

注意深く耳を

傾けなければならない



問題は何に耳を

傾けているかではなく

どのように耳を傾けているかだ



肝心なのは耳を傾けている

対象ではなく

どう耳を傾けているかなのだ



だから

導師が話をしているのか

あるいは

釜か鳴っているのかは

問題ではない



茶が用意されている間

皆静かにそこに座っている

釜の音を聞いていると

ゆっくりと香りが

茶の葉の香りが

その茶室を満たす



それが神の慈悲でも

あるかのように

それに対して自分を

開かなければならない



それはあらゆる

小さなことを

最も些細な取るに

足りないことを

非常に意味深いものにする

それは宗教的な色彩を与える



すると

茶を点てている女性が

こちらに来る

彼女が茶碗に茶を注ぐ

優雅さ、沈黙

そして釜の音

新しい茶の香り

それらが自ずから

魔法を生み出す



誰一人

口を聞く者はいない



みんなは茶を飲み始める

出来る限り全身で

その味を味わい

あたかも全世界が

消えてしまったかのように

可能な限り

その瞬間の中にいる



そこにあるのは茶だけだ



あなたがそこにいて

沈黙がある



さぁ、ごくありふれたことだ

世界中で人々は

茶を、コーヒーを

いろんなものを

飲んでいるが

この日常の事を聖なるものに

なし得た者はいなかった



茶が終わると

彼らはその女性に

敬意を込めてお辞儀をする



音も立てずに、

彼らはゆっくりと

その茶室を出る



そして

禅はごく当たり前のことを

途方もない体験に変える



禅の人とお茶を飲めば

それを忘れることは

決してない



導師がそこにいれば、

あなたは幸運だ

仕草のひとつひとつが

深い意味を持っている



それは単に茶を飲むことでもなく

茶会、ティーセレモニーと

呼ばれる



そこは喫茶店や茶屋ではなく

寺院だ

つまり、ここで起こるのは

儀式だ



これは象徴にすぎない

四六時中、生活の全場面で

自分がどこにいようとも

自分が聖なる地に

いるということ

そして何をしていようとも

それ聖なる者であることを

覚えていなければならない



だが覚えているだけでは

あまり役に立たない

それは瞑想によって

支えられるものだ



そうでなければ、

それはいつまでも

マインドの問題に留まり

深くが進まない



それに深みを与えるために

瞑想が常にそこにある



だから

禅寺では

一日中が

朝起きてから夜寝るまでが

長い祈りだ



彼らは礼拝はしない

祈るべき神は

そこにいない



だが

彼らは祈りに満ち

感謝に満ちている

そして

背景にある瞑想のゆえに

あらゆるささいなことが

想像もできないような

新しい意味を持ち始める



インドの神秘家

和尚OSHOの講話より抜粋

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