自分か社会か二択ではもちろんないが関心方向性はありそう

自分か社会か二択ではもちろんないが関心方向性はありそう

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学問領域においても、人文科学が個を対象とするとき、社会科学は集団を対象とすると。当然混ざり合うものもあるわけですが、明らかに僕は社会や集団に興味があるなあとふと思いました。大学くらいからですね。

とくに心理学というと、個の心理と、社会集団の心理があるわけですね。

例えば、学習心理なんかは例えば記憶がどうとか忘れやすいとかって個の話です。当然ピアプレッシャーとか誰かいることで気合が入る?みたいなものは集団になっていくというか。関わりですね。

そういう意味で僕は「関わり」というのが面白いと思っているんですね。煩わしいとかそういうのもありますから、別に誰かと「つるんでいたい」という意味ではないです(笑)そういう心の動きに関心があるというわけですね。

人はどっちに興味があるのか?

純粋にこれらを聞くことは少ないのですが、社会よりも個に関心が持ちやすい世の中かなあと思ったりします。なんというか、集団が前は世帯人員が多かったわけですが、今は単身世帯(一人暮らしということです)が多いわけです。

生活する、暮らす環境と関係があるのって思う人もいそうですが、めちゃくちゃ影響があると思います。例えば、一人であれば自己決定ができるし、自己判断ができる。当然何でも買えるとかでなく、自分の判断が世帯の判断ってことです。これが二人暮らしなら、さらに子どもがいればまた違ってきます。

関わるとは、ある種他人と暮らすこともである。家族だと違うんですけど、でもまあ結婚ってそういうものですからね。別居生活する既婚者がいるかもしれないですが、印象は仲が悪いわけですけど、まあ例外も色々あるでしょう。

なんで個なのかというと、その個が責任を取る(自己責任論って昔話題になりましたが)ことで良しとするみたいなものがある話です。逆にいえば個で責任が取れると。

でもですね、一人の個が勝手に何かすることって僕は稀だと思っていて、当然その人の意志や心理があることは踏まえたうえで、環境もあるのだろうと。

みんな楽しくしているところで「荒らす」人がいるわけですが、その人はそういう「荒らしたい」何かがあると。端的にいえば、幸せでない人が荒らすと。

不良ってそういう状態です。そうした人を同情や悲しい目で見るのが意味があるとは思えないですが、とはいえ彼ら彼女らの事情があることがほとんどかと思います。実際に彼ら彼女らの仕業が社会的にまずいなら当然アウトなんですが。

ここで、個と社会と対立させるというよりも、重視するのはどちらかというと、個になってくると。個人主義ってそういう意味でなんかつまらないなとすら直観的に僕は感じています。

つまらないとは、可能性とかポテンシャルがあまり出ないのかなと。多分集団とかチームのほうが個のちからもですが、より発揮できるんじゃないかという話ですね。

社会の方にかじを切ると、色々見えてくる

ここが面白いのですが、社会もですし、国家でもなんでもいい。会社組織でもいい。そういうのって再現性を持って何かやろうとするのだけど、結構うまくいくものって少ない印象です。

秘伝の書、虎の巻。なんてないわけですね。
書かれていても「よしなにがんばれ」みたいな(笑)って想像しています。

つまり、このことからいっても、僕が社会や集団が好きなのは、見ていて飽きないのは、予測不可能であり、面白いと思えるからですね。とはいえ、個人の心理でも、マナー違反などはわからないです。ただその人の原理で動くとそうなると。トイレ行きたいから電車駆け込むみたいな。分かりませんけどね。

個はどちらかというと、その人になるのであまり参考にならないというか、その人の生き方みたいなもので僕は見ちゃうってことですね。だから、そうなんだで終わるというか。自分もそうしたいとかは影響を受けるのはあるけど、別にそこまでもないかなというわけですね。

集団やチームで面白いのは、合う合わないとかです。人もですけど。ある場所ではうまく振る舞える人が、別の場では全然駄目だ。ありえるんですよね。なんでしょうね?不思議です。

どこまで言語化できるかになるんですが、できないところもありつつも、やはり個々の人が生き生きとしていくには、個に帰属させるのでなく、そういう社会や場に対してなんだろうね、活躍できる「人」でなく、活躍できる「場」に人が来る、という設計が好きなんだろうなという気付きでした。

そういう意味で集団や社会やチームというかそういうものが好きですね。くどいですが、スポーツチームが好きとかそういうことでなく、その集団がどう動けるか。一人ひとりのちょっとした動きが勝敗に起因するかもしれないし、実は勝てないと思っているから明らめて無駄な動きが減って勝てたかもしれない。分からないですけど、色々言えそうなのは面白いですよね。

見えないものや社会や集団における価値はありそう

僕が思うのは、例えばYoutuberとかVtuberとかありますよね。これってチームでやっていても見られ方は個人に近い。まあトリオとか、グループとかもあるのでそれはそれですけど。でもそのグループだけが見られますよね。

でも、実際は編集をしている人がいたり、企画をする人がいれば全く違ってくる。そして、大事なことですが、芸者演者である人もですが、そこに企画や動きやアイデアを提示するような、立場で言えば僕はそちら側ですが、そういう人が何を見て学んでいるかになると。

エンタメでも色々あるわけで、学術よりエンタメって多分あまり受けない。シンプルに学術、インテリって少ないわけですから。研究が役立つの?っていう人が周りにどれだけいるかで分かりそうです(役立つのって人は多分学術とかあまり関心がないのかも。役立つとか知らんがなって人が多ければ関心があるのかも(笑)雑ですけど)。

受けるものがいいからということで、大衆よりになっていくと。でもそれは否定しないんですよ。ビジネスとしてやるなら。でも、限度もあって、炎上はアウトですが、あともう目の前の人を傷つけているだけとか。これもかなり視聴者と、あとコンテンツ側で変わるのでなんともですね。「界隈」ではないですけどね。

つまり、見えないものとか、学ぶとかもですが、集団、チーム、場というのは分かっていそうでわからないことが多い。というか、人もわからないわけですから、完全に分かるのかって話でもある。分かったところで、何か幸せに生きられるかは別でもありますからね。

そういう中で、個に対する興味は深堀りで閉じやすい、垂直に強い。でも社会は横で広がるけど深堀りしづらい感じはします。直観的にですね。でも両方やるのもありだと思うし、もっと生きやすいとか、動きやすいものってあるんじゃないか。

例えば制度が駄目だからという人はいるけど、良い制度って結構難しい。例えば働き方でも、リモートワークだけでも意見様々ですよね。成り立つかどうかもあるし、できるかどうかもある。不思議ですよね。当然全部の仕事でやれとはいわないし無理なものもある。けれど、できるものでやらないのもある。これも不思議です。

合理的でなく感情的に動く人間がいるからこそ、ムラがある。それこそが実はチャンスを逃すこともあるし、実はそういう心の動きを利用してチャンスとすることもできる。

物事は捉えようというところで、僕としては集団や社会の動きが面白いのでその関心感はほとんど変わらずで相変わらず面白い人がいたら面白い社会って別にあるし、ちゃんと生態系があればなんとか生きられるのかなと思っているところでした(笑)
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