「いじけてる暇があるなら行動しろ」
そう言われたことがある。自己啓発の本にも、SNSにも、似たような言葉が溢れている。たしかに、その通りだと思う部分もある。でも、私はずっとどこかで引っかかっていた。
いじける時間って、本当に無駄なんだろうか。
振り返ってみると、私にはいじけていた時期が何度もあった。うまくいかないことが続いて、誰かに八つ当たりしたくて、でも八つ当たりする相手もいなくて、ただ布団にくるまって天井を見つめていた夜。「なんで自分だけ」「どうせ自分なんて」そんな言葉が頭の中をぐるぐるしていた。
傍から見れば、完全に止まっている状態だ。生産的でも、建設的でもない。
でも今になって思う。あの時間は、必要だったのだと。
いじけている間、人は実はちゃんと自分と向き合っている。悔しさ、惨めさ、悲しさ——そういった感情を、ごまかさずに感じ切っている。それは決して弱さではなく、自分の内側を正直に見つめる行為だったと、今はそう解釈している。
「さっさと行動しろ」という言葉は、感情を処理する前に蓋をしてしまうことがある。蓋をして動き始めても、どこかでまたそれが噴き出してくる。私はそれを何度も経験した。
だから私は思う。いじけたいなら、いじけていい。
ただし、ずっとそこにいる必要はない。いじけることで感情が消化されて、ふと「動いてみようかな」という気持ちが湧いてくる瞬間がある。その瞬間を待てばいい。行動したくなったら、行動したらいい。それで十分だ。
人生に、決まった速度はない。
誰かが「もう動いた」と言っても、自分がまだいじけている途中なら、それはその人と自分のペースが違うだけの話だ。比べなくていい。
いじける時間も、ちゃんと人生の一部だ。そこで感じたことが、次の一歩をより確かなものにしてくれる。私はそう信じている。