私は時々、向き合うという言葉を使うことがあります。
人は誰しも辛い経験を大なり小なりしていると思います。
そして、時々それを思い出して辛くなったりして、でも、
私の向き合うは、その辛い時に向き合うのではなくて、辛い
時を乗り超えた今の自分、色んな経験をして今、生きている
自分に向き合うことです。
色んな辛いことがあると思います。
ママ友が実は自分の悪口を言っていたことを知ってしまった
けれど、明日も会わなければいけないだとか、パワハラやモラハラや
いじめや、あるいはもっと言えばケガや病気も経験したかもしれません。
でも、生きていますよね。
学校で何かを勉強したり、あるいは自分自身で何かを勉強したり
どこかの会社にお勤めだったり、あるいは例え、学校にも行ってない
会社にも勤めていないとしましょう。友達もいないし、今日も一人で
ご飯を食べているとしましょう。
でも、生きていますよね。
その辛いことを乗り超えて生きている、頑張って生き抜いている
自分自身に頑張りましたねと向き合うことを向き合うと言っています。
辛いことを思い出してくださいでは決してありません。
生きているだけで辛い時もあるでしょう。
でも、辛いけれど生きている自分、やるじゃんじゃないですか。
やるじゃん、私。
私を例えに出すと、おばさんだったらおばさんになるまで生きてるなんてやるじゃん、病気やケガや辛い経験を耐え抜いてえらいじゃん!、お昼ご飯を作ったら偉い、お風呂に入ったら偉い、それだけで偉いです。
もしも、子供の頃にいじめられてそれからずっと自宅に引きこもっている方がいたとして、自分なんか生きている意味が何もないと思われる方がいたとして、その人にも私は頑張って生きていて偉いと言いたいです。
生きているだけで、生きる事そのものが修行みたいなものです。
もし、亡くなった人がいたとしたら、お疲れ様でした。肉体のない世界で
また出来るだけ楽しくお過ごしくださいと私は思っています。
生きてるだけでそれは一つの希望。一つは二つにその気になれば増やせます。
そして、仮に亡くなったとしても無、無しになりません。
とりとめのない話を最後までお読み頂きありがとうございました。