【考察】天岩戸神話は「自分らしさ」を取り戻す、自己理解の物語だった

記事
コラム
自分は本当は、何をしたいのだろう?
「私らしさ」って、一体何だろう?
私はどこへ向かっているのだろう?

そんなふうに、
自分のことが分からなくなることはありませんか。

まるで、自分の光を
どこかで見失ったような感覚です。

ところで、日本神話には、
太陽の神アマテラスが岩戸に閉じこもる
「天岩戸」の物語があります。

世界から光が消えてしまうこの物語は、
単なる神話の一場面ではなく、
人の心の動きにも、どこか似ているように
私は感じるのです。

もしかすると「天岩戸神話」は
人が自分を理解し、
自分らしさを取り戻していく
プロセスを象徴した物語なのかもしれません。


今回は、
日本神話「岩戸開き」と
「自分らしさを取り戻すプロセス(自己理解)」について
書いてみたいと思います。




1章:アマテラスが岩戸にこもった理由


天岩戸神話では、
アマテラスが突然岩戸に隠れたわけではありません。
きっかけとなったのは、
弟であるスサノオの乱暴な行為でした。

田畑を荒らし、
神殿を壊し、さらに
機織りの女性が命を落とす出来事まで起こります。

その出来事に深く傷ついたアマテラスは、
岩戸の中に隠れてしまいました。

つまり、岩戸にこもる理由は、
怒りやわがままではなく、
深い傷つき
だったとも読めるのです。

人の心も時々
同じようなことが起こります。
何かの出来事に傷ついたとき、
人は自分の光を消すように
心を閉じてしまうことがあります。

自信をなくしたり、
自分らしさが分からなくなったりするのも、
そんな瞬間なのかもしれません。



2章:天岩戸神話の流れ


ここで、まず天岩戸神話の流れを
簡単に振り返ってみたいと思います。

物語自体はとてもシンプルですが、
その一つ一つの出来事を見ていくと、
そこには人の心の動きと
どこか重なるような流れが見えてきます。

まずは神話の出来事を、
順番に見ていきましょう。


①アマテラスが岩戸に閉じこもる
世界は闇に包まれ、神々も人々も困り果てます。

②神々は相談します。
「どうにかしてアマテラスに出てきてもらわなければならない」

③岩戸の前でアメノウズメが踊り始め、
神々は大笑いします。

④その騒ぎを聞いたアマテラスは
「何が起きているのだろう?」と
岩戸を少しだけ開けます。

⑤そのとき差し出されたのが
八咫鏡(やたのかがみ)。
そこに映っていたのは
外の神ではなく
自分自身の光でした。

⑥最後に
タヂカラオが岩戸を引いて開き、
太陽は再び世界に現れます。



この神話の流れをよく見てみると、
そこには人の心の動きと
どこか似た構造があるように感じられます。

傷つき(岩戸こもり)
外からの刺激(アメノウズメの舞い)
自分自身を見つめる(八咫鏡)
自分本来の光に気付く(アマテラス)
現実を動かす(タヂカラオ)

まるで、人の心の再生の構造に似ています。


そこで次に、
岩戸神話に登場する象徴的な存在を手がかりに、
この物語を「自己理解のプロセス」として
詳しく見てみたいと思います。


3章:4つの象徴に見る自己理解のプロセス


岩戸神話には
4つの象徴的な存在が登場します。

アメノウズメ
八咫鏡
アマテラス
タヂカラオ

この4つを順番に見ていくと、
岩戸開きの物語は
人が自分自身を理解し、
新たな行動へ向かうまでの心理の流れ
にも重なって見えてきます。

①アメノウズメ

岩戸神話の中で、
最初に場を動かした存在が
アメノウズメです。

アメノウズメは、日本神話の中でも
喜びや生命のエネルギーを
象徴する神として知られています。

彼女は岩戸の前で踊り始め、
それを見た神々は大笑いします。
この場面は、とても象徴的です。
アマテラスを説得したわけでもなく
岩戸を壊そうとしたわけでもありません。

つまり、
神々は最初から無理矢理に
岩戸を開けようとはしていません。

代わりに行われたのが、
アメノウズメの舞いでした。

それも、ただの舞いではなく、
解放的でエネルギーの強い舞いによって、
場の空気をガラッと変える行為だったのです。

世界は光を失い、
神々は成す術が見つからず、
重い空気が漂っていました。

そんなとき、アメノウズメが
生命エネルギーにあふれた舞いで
場の空気を変えたのです。

闇に包まれた世界の中で、
最初に動いたのは「力」ではなく
生命のエネルギーでした。

笑いが生まれ、
その場の雰囲気が明るくなり、
生命のエネルギーが戻る。
外の世界は光を失ったはずなのに
明るく生き生きとした雰囲気に満ちている。

アマテラスは
そんな外の世界に興味を持ち
岩戸をそっと開けるのです。


つまり、
岩戸開きの最初のきっかけは、
無理矢理な力で
強制的に行われたのではなく
「場の空気の変化」をきっかけに
自然と心の岩戸も開いた
とも言えるのです。

絵画
音楽
動画
映画
文章などの芸術
あるいは
書籍やSNSなどでの見かけた誰かの言葉

外からやってくる「刺激」に触れたとき、
人の心が少しだけ動く瞬間。

それが
「自分らしさに気付く、自己理解の最初のきっかけ」
になることがあります。

「反応する」
それは自分のアンテナに響いている証拠。
ウズメの舞いと神々の笑いは、
落ち込んだアマテラスの心に響いていきます。


②八咫鏡

次に登場するのが、八咫鏡です。
鏡は古くから
「自分自身を映し出す象徴」として
多くの神話に登場します。

アマテラスが
岩戸を少し開けたとき、
そこに映っていたのは
外の神々の様子ではなく、
差し出された八咫鏡に映っていたのは
光り輝くアマテラスの姿そのものでした。

つまり、ここで起きているのは
素の自分の姿に気づいた、ということです。

人は外の出来事や言葉に触れたとき、
ふとこう感じることがあります。
「それはもしかして、私のことかもしれない」

心理学ではこれを
「投影」とも呼びます。
外に見えているものが、
実は自分自身を映している。
鏡は、そんな瞬間を象徴しています。

③アマテラス

鏡を見たことで、
アマテラスは自分の光に気づきます。

岩戸の中に隠れていたアマテラスの光は、
もともと失われていたわけではありません。
ただ、自分自身が
それに気づいていなかっただけです。

これは
自己理解の重要なポイントでもあります。

人は時々、
「自分の光」を失ったように感じます。
しかし実際には、
それが消えているわけではなく、
ただ見えなくなっているだけなのかもしれません。

興味深いのは、アマテラスが
岩戸を「少しだけ」開けたことです。
完全に閉じこもっていたなら、
外の騒ぎなど気にしないはずです。

それでも
「何が起きているのだろう?」と感じた。

そのとき、
外の世界の明るい雰囲気に
アマテラスの自分らしさが
どこか共鳴したのかもしれません。

そして、この小さな好奇心こそが、
岩戸開きの最初のきっかけだったのかもしれません。

④タヂカラオ

最後に登場するのが、タヂカラオです。
タヂカラオは
岩戸を実際に引き開く役割を担った神です。

彼が岩戸を引き、開いたことで、
太陽は再び世界に現れました。

神話の流れを見ると、
最後に必要だったのは
無理矢理な「力」ではなく
現実の世界を動かす行動でした。

ここで象徴されているのは、行動の力です。

自己理解は、
気付くだけで終わるものではありません。

自分の光=自分らしさに気付くだけでなく、
現実の世界の中で
自分はどのように生きていくのか。
どんな選択をし、
どんな行動をしていくのか。
そのとき必要になるのが、
実際に一歩を踏み出す力です。

タヂカラオは、
その「行動の力」を象徴している存在なのかもしれません。

気づきだけでは、
岩戸は完全には開かない。

最後に必要になるのは、
現実の世界の中で
自分らしさを活かしていくための行動なのかもしれません。


4章:岩戸開きは私たちの心の中でも起きている



この流れを
現代の生活に置き換えてみると、
岩戸神話は
決して遠い昔の物語ではなく、
私たちの身近なところでも
起きているように思えます。

「なんか最近、自分が自分じゃない気がする」
「本当はどうしたいのか、もう分からない」

そんなとき、
外の表現に触れて心が動き
自分を見つめ
そして一歩を踏み出す。

岩戸開きの物語は、
そんな人の心のプロセスを
象徴的に描いた神話とも
読めるのではないでしょうか。


まとめ:天岩戸神話は「自分らしさ」を取り戻すプロセスだった



日本神話の「岩戸開き」は、
ただ太陽が戻る物語ではなく、
人の心の動きにも重なる神話のように感じます。

岩戸に閉じこもるアマテラスは、
自分の光を見失った状態。
そこに現れたのが、
アメノウズメの舞いでした。

暗闇の中で笑いが生まれ、
ガラッと場の空気が変わり、
外の世界には
生命のエネルギーが戻っていきます。

その明るい雰囲気に、
アマテラスはふと
「何だろう?」と興味を持ち、
岩戸を少しだけ開けました。

そこで差し出されたのが
八咫鏡です。

鏡に映っていたのは、
騒いでいた外の神々ではなく、
自分自身という光そのものでした。

光は外から与えられるものではなく、
もともと自分の中にあったもの。
光は自分の内側から輝きだすもの。
それに気づいていなかっただけなのかもしれません。

そして最後に
タヂカラオが岩戸を開き、
太陽は再び世界に現れました。

ーーー
まるで
これまでお話してきた内容は、
自分を理解し、
行動に移していくことが
「心の岩戸を開くこと」
のようにも感じられます。

こういう状態って、
実はとても多くて

「また同じところをぐるぐるしてる」
「決めたいのに、決められない」

そう感じているときほど、
すでに「心の岩戸の中」にいる状態だったりします。

そして多くの場合、
外から何かを足すことで変わるのではなく
「自分の内側にあるもの」に気付くことで
少しずつ流れが変わっていきます。

ただ、ここでひとつ
見落とされやすいことがあります。

それは、
「自分で自分を見ることの難しさ」です。

鏡がなければ
自分の顔を見ることができないように、
人は自分の内側も
完全にひとりで見つめることは難しいものです。

どれだけ考えても
同じ思考の中を回り続けてしまったり、
本当の気持ちに触れる直前で
無意識に避けてしまうこともあります。

だからこそ、
外から自分を映し出す
「八咫鏡」のような存在が
必要になることがあります。

そして、
私にとってタロットは、
まさにその「八咫鏡」のような役割を持つものです。


あなたの心の岩戸を開くきっかけは、
いったい何でしょうか?



私がタロットを通して行っているセッションも、
未来を当てる占いというより、

自分の心を映す鏡を見る時間
に近いものです。

天岩戸神話では八咫鏡。
セッションではタロット。

私は
象徴のカードを通して、
自分の内側にある光に
気付くお手伝いをしています。

もし今、
「少しだけでも自分を見てみたい」
そんな感覚があるのなら、

そのタイミングは
あなたの中の岩戸が
ほんの少し開いているサインかもしれません。
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