【情熱を原動力にする】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
投入する歩みをするには
「情熱」が必要なのです。
情熱というのは
最も強い原動力であり
情熱によって
全てを投入することが
できるのです。
情熱が強い人は
同時に「怒り」が強いのです。
情熱と怒りは
正比例するので
数字で表すとしたら
怒りが10であれば
情熱も10であり
怒りが100であれば
情熱も100になります。
怒りがあるよりは
無い方が良いように
見えるのですが
大して怒らない人は
大して情熱も無いのです。
ただ、怒りの感情のままに
行動してしまうと
破壊につながってしまうので
怒りを情熱に
変換することが
必要なのです。
怒りを無理に抑えるのではなく
情熱を持てることに
投入していくことで
怒りの原動力を
情熱に変換することができます。
投入する歩みには
情熱が必要なので
怒りが必要なのです。
怒りが必要となると
語弊がありますが
今の世の中の矛盾に対しての
怒りが無ければ
投入する歩みは
できません。
情熱的に歩める人は
大きな怒りを感じているのです。
怒りの感情を
情熱を持てることに
投入することで
投入したことに
価値を見い出すことが
できるのです。
投入したことというのは
誰も奪うことはできないのです。
誰よりも投入したことは
投入した人が主人になるので
奪うことはできないのです。
私たちの歩みの基本というのは
非常にシンプルなのです。
どんな努力をするにしても
「投入する」という
シンプルなことを
覚えておけばいいのです。
投入することで
創造力の発揮ができ
投入することで
新しい価値を
生み出すことができるのです。
内に秘めた情熱は
誰でも持っています。
今までの時代は
情熱的に歩むと
かなり浮いてしまったので
情熱を抑えてきたのですが
今からの時代は
情熱的に歩むべきなのです。
現実の環境の中では
情熱的に歩みにくいのであれば
情熱的に歩めることを
見つけるようにしてください。
それこそ
寝食を忘れるくらいに
没頭できることであれば
情熱的に歩むことができ
自分の力を投入することができます。
今の時代で
最も困る人は
中途半端な人なのです。
惰性的に歩んだり
適当に、ダラダラと歩む人は
中途半端な歩みしかできないのです。
やるならやる
やらないならやらない
という
ハッキリした歩みが
必要なのです。
投入する歩みというのは
最善を尽くす歩みなので
中途半端な歩みを
してはいけないのです。
最善を尽くす歩みというのは
今の実力の中で
最善を尽くすということです。
実力以上のことは
できないので
今の自分の実力の
把握が必要なのです。
たまに実力以上のことを
求めてくる人がいますが
できないことはできないのです。
できないながらでも
投入していくことで
真空状態をつくることができ
その真空は
自然に埋まるようになります。
実力がある人は
限界基準が高いので
より投入することが
必要なのです。
成長の段階
基準というのは
人それぞれで違うので
自分の実力、限界基準の中で
歩んでいくしかないのです。
限界基準は
自分では決められないのです。
全てを投入していくことで
真空をつくることができるので
限界基準は
自分で決めることはできません。
情熱を原動力にすることによって
投入する歩みができ
投入する歩みをすることによって
宇宙の法則、原理原則の歩みが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌