【雑念があるから瞑想が必要】

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安田です。
瞑想が続けられない人の言い訳は
「雑念が出てきて集中ができません」
という言い訳をしますが
どんな人でも
瞑想を始めたときは
雑念に悩まされて
集中ができないのです。
最初から雑念がなく
集中ができるのであれば
瞑想は必要ありません。
雑念というのは
今まで外から受けた影響であり
自分の思いのように
思わされているので
苦しくなるのです。
瞑想はありのままの自分と
向き合うことなので
苦しくなるのです。
雑念は耐えるしかないのですが
瞑想を毎日の習慣にすることで
雑念が流れていき
自然に集中することが
できるようになります。
現実の私たちの環境は
雑念ばかりなのです。
常に雑念が入って来るので
常にその雑念を流していかないと
集中した歩みはできないのです。
瞑想の時間を
増やしていけばいくほど
雑念が流れていきます。
瞑想は毎日
続けていかなければ
意味がありません。
たまに、時々しても
意味がないのです。
なぜなら、外からの刺激で
常に雑念が入って来るからです。
雑念を流すことで
自分の良心と向き合うことが
できるようになり
深い境地での
悟りを得ることができます。
現実の私たちは
山に籠って
修行をする訳には
いかないので
今の日常の中で
瞑想の習慣を身につけ
悟りの境地を
目指すことが
必要なのです。
実際は現実の中で
歩むことの方が
大変なのです。
常に緊張し続けることは
できないにしても
常に誘惑があり
外からの刺激があり
感じたくない感情を
感じながらの闘いでもあります。
隔離された環境であれば
その環境に慣れれば
基準を立てることが
できるのですが
現実の環境の中で
基準を立てるというのは
簡単ではありません。
簡単ではなくても
基準を上げていく歩みができなければ
どこまでも流されてしまうのです。
瞑想の習慣ができれば
それだけでも基準が
上がっています。
ほとんどの人は
瞑想の必要性を感じても
続けることができないのが
現実なのです。
雑念に耐えられないので
続けることができないのです。
ありのままの自分と
向き合うことに
恐怖を感じているので
瞑想を続けることができないのです。
瞑想は
暇と孤独と同じです。
一人一人で瞑想の実践をするので
暇であり、孤独なのです。
瞑想の習慣を
身につけることで
暇と孤独にも
耐えられるようになります。
耐える力は
身につけることが
できるのです。
成長するためには
耐える力が必要なのです。
身体を鍛えるのと同じで
心理的にも鍛えることが
必要なのです。
「苦しい思いをしたくない」
という人が多いのですが
苦しい思いをしなければ
成長はできません。
苦しい思いの先に
快感を感じることが
できるのであって
快感だけを感じることは
できないのです。
瞑想は雑念との闘いなので
苦しくなります。
その苦しさに
耐えることで
雑念が小さくなり
自分の良心基準を
悟ることができ
良心基準で歩むことが
できるようになります。
その境地には
瞑想を続けていけば
誰でも至ることができるので
ただひたすら
瞑想を続けていけばいいのです。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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