【悟れていないことを受け入れる】
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学び
日常的スピリチュアル、安田です。
悟りの境地に至るためには
悟れていないことを受け入れて
自覚することが必要なのです。
悟れていないからといって
落ち込む必要はないし
悟っていないから
悪いということではありません。
知っていても、できていなければ
悟っていないということであり
悟れていないことを自覚することで
悟りの境地を目指すことができます。
今の時代を歩む私たちには
膨大な知識、情報が
ありとあらゆる方面から
入ってくるので
知っていることが
あまりにも多いのです。
ただ知っていても、悟っていないので
歩みの基準は、過去の人の基準と
大差はないのです。
いくら知っていることが増えても
悟っていなければ
実行することができないので
何の変化も、もたらすことはできないのです。
多くのことを知っているがゆえに
シンプルに歩むことができなくなり
身動きが取れなくなっています。
どんなことを知っていても
できることしかできないし
できることに最善を尽くし
投入する歩みしかできないのです。
悟りの境地に至ることを
難しく捉えてしまう人がいますが
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動を積み重ねることで
悟りの境地に至れます。
実行はごく小さなことから
始めていけばいいのです。
実行ができないのであれば
学ぶこと、瞑想を続けることで
どう実行したらいいのかが
分かるようになります。
いつの時代の人でも
悟りの境地を求めてきたのですが
悟りの境地が分かるようで
分からなかったのです。
悟りの境地というと
神秘的な境地のような
印象がありますが
現実的な悟りが必要であり
できなかったことが
できるようになることで
より悟りを深めることができるのです。
いくら神秘的な境地に至っても
実行ができないのであれば
悟っているとは言えないのです。
神秘的な境地は鈍感だとしても
実行ができているのであれば
悟っているということです。
悟っているか、いないかの基準を
実行できているか、いないかを
基準にしていくことで
悟りの境地を
明確にすることができます。
テクノロジーが発達することで
より多くのことを効率よく
知ることができるようになりますが
知ったからといって
悟っているとは限らないのです。
人工知能は結論的なことを
教えてくれますが
悟れるように導くことはできないので
悟れるように導ける教育が
求められてきます。
いつの時代の悩みも
「知っているけどできない」
ということであり
理屈で知れば知るほど
悟っていないことに
葛藤してしまうのです。
知っていることが多いがゆえに
行き詰まりを感じるようになるのです。
知識を学び続けることは
必要なのですが
その先の悟りの境地を
目指していかないと
行き詰まるようになるのです。
時代が進むことで
悟りの境地を求める人が
増えてくるのですが
悟れるように導ける教育が
できる人が少ないのです。
悟り教育は
悟っていなければできません。
自分ができていないことを
割り切って教育することが
できない時代になっていきます。
人工知能が身近になることで
評論家は必要なくなるのです。
悟り教育は、人にしかできないので
悟り教育ができるようになれば
人工知能にはできないことが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌