デザイナーの筆錬

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コラム
 模倣からのスタート、気に入った絵画のタッチ 例えばゴッホのタッチが気に入ったとしてその作品をいかにコピーできるかの筆の運び色、造形などをそっくり真似してみる。それがゴーギャンの場合もあり、ピカソ、北斎であったりするわけです。そうした模倣を繰り返しながら、テクニックを身に着けようとするのは、当然のことだと考えます。まずは「写実的な形」を追求し次にさの技術、摸倣といった観点を無視し自らの自由な発想で筆錬をしていきながら「センス」を磨くこと。
 自分独自のタッチを身に着けるという事。
それはあたかも楽器を練習するとき、有名な弾きてのタッチを真似するがごとき、スポーツも同様。誰かをまねることで学び自分の中で試行錯誤を行いながら自らの個性的な技術を得ていく事は、どんな世界にも存在します。
 趣味の世界に於ける「絵画展」なるものにいけばよく分かります。
出展作品はどれも「上手」できれいな絵が並んでいます。
 しかし、家に帰るとその印象が薄れ記憶に残っていません。
いわゆる心の中に残らない、ただ上手な絵として認識されているわけです。
 プロはそこに強烈な個性の香りを残します。
「上手い」ではなく「下手」「へたうま」などの世界です。その世界が出来上がっていくとファンとアンチファンがあらわれます。実はそんな状況づくりこそが「デザイン」の世界でやって行けるかどうかのボーダーだと「デザイナー」は思っています。「私のコンセプト」にあう方だけにご提供いたします。というのが本日の意見まとめです。
長山隆 (5).JPG



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