皆様、サービスを出させていただきましてからお気に入りとかフォローとかありがとうございました!とっても嬉しく楽しく毎日過ごせています。
今日はまた、自己紹介がてら下積み泥臭い時代編からブログに記します!
あ、その前にちゃっかり新商品も宣伝させていただきます(笑)
「ちゃんと掃除しなきゃとは思ってる!でも正直、まず何を買えばいいのか分からん。。。」で止まってる人向けのサービスを出しました。
洗剤?道具?100均?プロ用?
調べるほど情報が増えて、結局なにも買えないやつです。
このサービスでは、今の状況を聞いたうえで、現場目線で「失敗しない最初の一手」だけを切り出します。
高い道具を揃える前でも、気合いを入れる前でも大丈夫。
迷ってる時間を終わらせたい人だけ、リンクからどうぞ。
年末大掃除、毎年失敗している民に贈るクリスマスプレゼントはこちらから→
そして急に掃除屋奮闘記はじまります。
地方からタレント養成所へ
タレントを目指して、福島県南相馬市から上京しました。
某大手のタレント養成所も半年でやめてしてしまいまして、急に
(始めるまであまりお笑いの番組見たことがなく芸人という概念を知らなかったです)フリーの芸人として活動する一方で、生活のために始めたのが清掃のアルバイトです。
スパルタな師匠との出会いをきっかけに、この仕事に本気でのめり込むようになりました。そこである壮絶な現場を経験したことを機に、下積み6年後に清掃会社を設立。
「掃除で世直し」という言葉を背中に背負いながら、暮らしの原点は清掃にあること、そして清掃という仕事のやりがいや奥深さを伝える活動も行っています。
今回は、20代で起業した私・佐藤麻衣が、どんな道を歩んできたのかをお話しします。
芸能界をめざして
育った家庭は、正直に言うとかなり厳しめでした。
門限があり、外出には許可が必要で、テレビも決まった局しか見られませんでした。
自分の中では「軍隊とか行政みたいな家だな」と思っていました。
小学校から高校まで、打ち込めたのは陸上だけでした。足が速いことだけが自分の取り柄だと思っていました。
ラジオだけは自由に聴けたので、布団の中に潜り込んで声の主がどんな人なのかを想像する癖がつきました。
布団や田んぼの脇の草むらとか森林の中で(田舎あるある)空想しながら、自分の世界観を広げて生きていたと思います。
その「想像してきた世界が本当に通じるのか」社会と答え合わせがしたかったのだと思います。
なぜなら土日も「遊びに行く許可を貰わなくては...」と自由に遊びに行くのもはばかられました。
自分の考えは、親にはなかなか理解されませんでした。それでも、一部の人でいいから共感してもらえたら。
机上の空論で終わらせたくなくて、芸能界を目指しました。
ただし、そんな環境の中で育ててくれた親に今では大変感謝しています。
上京してから困難な事が沢山あっても反骨精神の鬼として精神力が鍛えあげられていたからです。
高校卒業後、福島を離れて上京し、タレント養成所に入りました。
親の世代のアイドルだった石野真子さんに憧れていると必死に訴え(実際当時やっていたデカレンジャーという戦隊モノで石野真子さんを観て咄嗟に伝えただけです。笑)学費や家賃を工面してもらったことを覚えています。
最初はタレントを目指していましたが、「答え合わせ」がしたかった私は、やがて養成所を辞めました。
その後はフリーの芸人として、ライブやラジオ、深夜番組などに出演するようになります。
その頃、生活の足しに始めたのが、芸人仲間の紹介で入った定期清掃の仕事でした。
初めてガラスクリーニングをしたとき、「スクイジーさばき((水を切る道具)がうまいね」と褒めてもらったんです。
足の速さと愛嬌くらい(当時は、近所の人達に挨拶と愛嬌振り撒いて、草むしりを手伝って、イノシシの肉をお裾分けしていただいていたりしました。)しか取り柄がないと思っていた自分が、
「もしかしたら、掃除って向いているのかもしれない」と初めて感じた瞬間でした。
最強の二番手になってやる
その後、ハウスクリーニングを本格的に覚えたいと思い、専門業者を探しました。
たまたま病院の定期清掃でアルバイトをした先が、ハウスクリーニング大手のフランチャイズ(FC)店でした。
どうしてもハウスクリーニングをやりたくて、オーナーに何度もお願いしましたが、最初は断られました。
それでも諦めきれず、電話で何度も懇願し、ようやく土日だけ現場に入ることを許してもらえました。
床、窓、壁、キッチン、トイレ、洗面所、エアコン。
短時間で、しかも高いクオリティが求められる仕事でした。
師匠の指導はスパルタで、正直きつい現場も多かったです。
覚えは早い方でしたが、どうしても風呂掃除だけは思うようにできませんでした。
洗剤の使い方は覚えても、指定された時間内に終わらない。
「風呂掃除ができていなければ、風呂から3年は出るな」と怒鳴られることもありました。
エアコン洗浄も、当初はパーツ洗いしかさせてもらえず、それが悔しくて、
エアコンクリーニング専門会社で掛け持ちのアルバイトもしました。
二人一組で一日七件。完全に時間との勝負でした。
動線、道具の置き方、養生、段取り。
清掃の仕事は「段取り八分」だと、身をもって学びました。
陸上時代に身についた「地味な反復練習こそが結果を出す」という感覚は、清掃の現場でも確実に生きていました。
当時の私は、「最強の二番手になりたい」と思っていました。
メインで施工する人の、最強の片腕になる。こいつ使える奴だな。こいつがいて、会社の業績があがった。と思われるような右腕的存在にならなきゃ意味ないじゃん!
その想いだけで、日々現場に立っていたと思います。
2012年を最後に、芸人の世界からは完全に離れました。
芸人ライブの楽屋に行く度に毎回この世界は、承認欲求が強くなければ生き残れない場所だと感じたからです。
私はもともと、あまり目立ちたいタイプではありません。
注目されるよりも、自分の本質を守れていればいい。
芸人として活動したからこそ、「それでもいいんだ」と思える確信を得ることができました。
つづく
そして、とりあえず年末だし、クリスマスだし、色々理由つけて打ち上げしちゃいたい私やそこの皆さんはこちらをどうぞ→