- サービスを探す
- プロ人材を探す
- ノウハウ・素材を探す
- ブログを探す
- 仕事・求人を投稿して募集
- エージェントに人材を紹介してもらう
- 出品する
- 単発の仕事を探す
- 継続 (時給/月給) の仕事を探す
- エージェントに仕事を紹介してもらう
- PRO認定
- 人気のご利用シーン
- コンテンツ
弁護士検索・法律Q&A(法律相談)
悩み相談・話し相手・子育て・恋愛 3,000円〜
恋愛相談 3,000円〜
子育て 3,000円〜
ストーカー 3,000円〜
DV、モラハラ 3,000円〜
勉強苦手な私が勉強の楽しさを教えます。 3,000円〜
就職・転職 3,000円〜
しばらくお休みさせていただきます。
クリエイター / 動画クリエイター 経験年数 : 1年未満
ライフスタイル・その他 / イベント司会 経験年数 : 6年
ライフスタイル・その他 / カウンセラー・コーチ 経験年数 : 1年未満
Excel 経験年数 : 20年
Google スプレッドシート 経験年数 : 2年
Pages 経験年数 : 2年
PowerPoint 経験年数 : 16年
Word 経験年数 : 21年
Access 経験年数 : 21年
HTML 経験年数 : 10年
Java 経験年数 : 10年
JavaScript 経験年数 : 10年
・悩み相談・話し相手・子育て・恋愛 3,000円〜
ご近所トラブルから恋愛相談まで色々な相談に乗ってきました。 自閉症の娘を育てた経験から子育て、いじめ、ハラスメントなど人間関係の苦しさを得意としています。
・恋愛相談 3,000円〜
恋愛の多種多様な面を見てきたからこそ相談に乗れます。 片思い、両思い、出会い系サイト、婚活、結婚前の不安な気持ち、結婚後のストレスから別居、離婚まで幅広く相談に乗ります。
・子育て 3,000円〜
自分も自閉症、長女も自閉症スペクトラム、三女が起立性調節障害からの不登校を経験しました。 子育ての大変さも子どもの気持ちもわかります。
・ストーカー 3,000円〜
生活安全課で相談、事件扱い経験あります。 現在は昔に比べてパーソナリティに歪みのある人が増えているため、ストーカー行為から殺傷事件に発展するケースも多い。たかがつきまといと思っていると事件にまきこまれることも多数あります。 病気と同じで早期発見、早期対策が大切です。
・DV、モラハラ 3,000円〜
こちらも仕事と私生活で経験あります。笑 ストーカーと間違えて結婚してしまった私は後悔するはめ 同じ事を繰り返すモラハラ、DVはパートナーを洗脳状態におきながらエスカレートしていきます。 ・緊張期 ・爆発期 ・ハネムーン期 を何度も繰り返し、問題を軽視する発言や 「あなたのために怒っているんだ!」 と責任をパートナーに押しつけながら、パートナーの尊厳や自己肯定感を貶めていきます。
・勉強苦手な私が勉強の楽しさを教えます。 3,000円〜
「宿題しろ~」「ちゃんとやっているの?」 親からいつも怒られていたゆーりがあなたに向いている勉強の仕方を教えます。
・就職・転職 3,000円〜
今の時代は風の時代 変化について行くためには、今までの就活イメージを変える必要があります。 定年退職まで働く仕事として選んだ警察の仕事を定年退職までの数年を残して早期退職してまでのマインドセットの切り替え 退職後も同僚だった人たちから相談があとを絶ちません。 そんなゆーりが教える転職できるマインドをお教えします。
心理カウンセラー ベーシック 取得年 : 2023年
情報処理技術者(データベーススペシャリスト) 取得年 : 2002年
情報処理安全確保支援士 取得年 : 2019年
英語 日常会話レベル
ゆーりのこと知ってくださいね。 1966年4月 〜 1982年3月
・ゆーり誕生 / お雑煮と陣痛 1966年4月 〜 1967年3月
私はお正月生まれです。 お腹の大きな母が父とお雑煮を食べている時に陣痛が・・・ 慌てて父が母をおんぶして病院へ(妊婦さんをどうやっておんぶしたかは未だになぞです)笑 でも丸1日生まれず、母は食べ残したお雑煮が気になっていたそうです。 姉と違い大きく生まれてきた私は男の子が欲しかった両親の期待を裏切って女の子として生まれました。
・ゆーり幼稚園 / 枠に囚われない不思議な子 1971年4月 〜 1972年3月
公立の幼稚園に5歳の1年間だけ通いました。 ゆーりが姉以外の年の近い人たちと出会いました。 ももぐみの優しい先生が大好きでした。 楽しみはたまに幼稚園に来る「ロバのパン屋さん」 将来「ロバのパン屋さん」になりたかったですね。 パン屋さんではなくロバが好きだったからでした。 毎朝「おかあさんといっしょ」を見ていると、母に手を引っぱられ、片道30分の距離を走らされ、遅刻ギリギリで幼稚園の送り込まれました。 私はなんで毎日走って行かされるのだと思っていました。 今思えば、たんに母が時間にルーズだったので、遅刻の時間だったようです。 毎日走っていたので足は速かったですが、かけっこで勝ったことはありません。 なぜなら、まっすぐ走れないから。 反対向きに走ったり 真っ直ぐのコースを円を描くように走ったり 植え込みに飛び込んだり 運動会の時は、幼稚園の正門から走って出て行ってしまったらしいです。 先生には何度もこの白い線の中を真っ直ぐ走れば大丈夫と言われてましたが、夢中で走るとどこかに行ってしまう私がいました。 枠に囚われない子でした。笑
・会話のできない小学生 / いじめられた小学生低学年 1972年4月 〜 1978年3月
昔なので、会話ができなくても、普通に小学校に入学できました。 問題は会話ができないだけでなく、人の顔が覚えられなかったことです。 ~教室も間違える~ クラスは1年2組 1クラス55人いましたが、顔が覚えられないので、席の場所はドアからの位置関係で覚えていました。 ある日トイレに行って戻ってきて、自分の席に座っていたら、なぜか私の周りに人だかりが??? なんなんだろうと思っていたら、男の子たちが「きみはだれ?」「何組の子?」と聞いてきました。 私は「・・???」わからず、首をかしげていると、他の男の子が「ここは1組だよ。」と教えてくれました。 「2組?」と聞き返したら、「席まちがえているよ。」と言われ(^_^;) よく見てみると机の上には私の物ではない筆箱が置いてありました。 座っている場所は、私の席のある場所だったけど、隣のクラスに来ていたのです。 ~全身にじんましんが~ 昔なので、アレルギーも気をつかってくれなかった時代でした。 私は卵アレルギーだったので、予防接種は受けなくてすみましたが、給食の卵は「お残し禁止」なので無理矢理食べさせられました。(T_T) 死ぬほどのアレルギーではなかったですが、全身にじんましんができて、当然顔も真っ赤に腫れて、でこぼこになり、クラスの子たちからは「おばけ!」「ばけもの!」と言われて逃げられたのを覚えています。 ~いじめられるように~ 会話ができない 勉強ができない 教室を間違える じんましんが出る そんな私は当然のように「いじめられる」ようになりました。 小突かれたり 悪口を言われたり 給食にゴミを入れられたり それらは、まだ良い方でした。 いじめてくるのは男子 そのうち廊下でパンツを下ろされるようになり、授業中に歩き回る男子が私の後ろに立ち、パンツの中に手を入れてくるようになりました。(@_@) 先生は気がつかない訳ではないはずなのに、注意もしてくれません。 汚い手で触ってくるので、大切な所にしっしんができたこともありました。 母には「汚い手で触ってるのでしょう。まったく女の子なのにそんなとこ触って!」と怒られました。 「私じゃない」と言いかけましたが、なんて説明したら良いかわからずに黙っていました。 小学校に行くのは辛かったけど、学校を休むと親に言うのはもっと怖かった。 母に怒られるのじゃないかと思ってしまい、泣く泣く学校に通いました。 辛い小学校の低学年時代でした。 一番辛かったのは、意を決して先生に「いじめられています。助けてください。」と言った時です。 担任の先生は若くて優しくて美人の先生で憧れていました。 その大好きな先生に「どうやっていじめられているのか、説明しなさい。いじめられているだけじゃわからないわよ。」と言われて、私は恥ずかしいことをされているので何も言えなくなりました。 「そうやって何も言わないのが悪いよね。いじめられる方にも原因があるのよ。」と叱られました。 憧れていた大好きな先生に私は拒絶されたのです。 この絶望感は今でも覚えています。 席に戻った私に、早速2人の男子が「ちくり失敗」と言いながら行ってパンツに手を入れてきました。 先生はこちらを見ていませんでした。 結局、このいじめは3年生のクラス替えをするまで続きました。 私に勇気があって両親に話すことができていたら、自体は違っていたのでしょうか。 私はこのことをずっと心の中に封印して生きてきました。 私は強くならないといけない 話せるようにならないといけない 弱い人を助けられる大人になりたい そう思いましたが、そこまでの道のりは想像以上に長いもので、小学生時代は友人にさえ意地悪を言われたりしました。 小学生の悪口は的確に相手が傷つく言葉をピックアップしています。悪質でしかありません。 思ったことを口にする。悪気がないわけじゃない。無邪気? 大人は子どもの言ったこと、やったことに重きを置かない。 子どもは親の鏡なので、その子たちの親が同じなのでしょう。 許されない過ちを子どもの隠れ蓑に騙されず、周囲の大人が修正してあげないといけないと思う。 いじめられる人の気持ちを、 いじめられている現実に気づいて 救いださないと いじめられている人は永遠に闇の中です。 自殺をする人を弱い人間だと終わらせて良いのですか? 断罪されるべきなのは、 いじめる人 気がつかないふりをしている人 見て見ぬふりの人 だと私は思います。
・小学生時代後半もまだ話せない / ゆーり初恋 1972年4月 〜 1978年3月
小学生3年生でいじめから開放されたゆーりですが、まだまだ話すのが苦手でした。 3年生4年生の先生は年配の独身女性でした。 宿題を忘れると、教室の前で下着姿で立たされると言う体罰を与える先生でした。 徐々に友達もできてきたゆーりはこの頃あることに気がつきます。 それは特殊学級です。 障害を持つ子が入ると周りから言われました。 でも、見た目は普通の子ばかりで、仲良くなった子もいました。 その子は「勉強ができない」と言っていたけど、 私も勉強できないし クラスの男子にはひらがなもちゃんと読めない子もいたんですよね。 この差はなんだろう? 私は特殊学級に入った方が良いのじゃないの? なんで、こっちのクラスにいるんだろう? そんなことをずーっと考えていました。 きっと自閉症だったけど、診断されていない私が入れるところじゃないことは、この後だいぶ経ってから知ります。 友達が話しかけてくる度に、「どんな返事をしたら良いのか」がまったくわからない私は、鬼ごっこの時やかくれんぼをする時にいつも鬼ばかりさせられていました。 普通の子たちから見たら私は自分より下の人間に見えたのでしょう。 人の話を聞いていないことも多かったので忘れ物も多かったです。 母の話では空のランドセルを背負って行ったこともあるようで、私は下着で立たされる常連でした。 ある日のこと、給食費を忘れてしまいました。 クラスで給食費を忘れたのは私だけだったと思います。 本当は母が持たせてくれるはずだったけど、母も忘れたのでしょう。 妹がまだ小さかったので、私のことは忘れることが多かったです。 一人だけ給食費を忘れて、先生に叱られました。 「教室の前に来て、下着になりなさい。」と言われた時です。 一人の男子が手をあげました。 私をいじめていた男の子でした。私は酷いことを言われるのかと息を飲みました。 「先生、ぼくがお金を持っている。ゆーりに貸してあげるから罰を与えないでください。」 そう言った彼は先生の所まで言って、給食費を払ってくれました。 信じられない。 1,2年生の時にずっといじめを主導していた彼が? なにか企んでいる? 私はそう思いながら、その場で彼に頭を下げただけでした。 その日のうちに母と彼の家まで給食費のお金を持ってお礼を言いに行きました。 彼の両親は働いていて鍵っ子だったため、万が一に備えお金を持たせていたことがわかりました。 「うちの悪ガキが女の子を助けるなんてびっくりだよ。」 彼のお母さんは嬉しそうに言いました。彼は後ろで照れくさそうにしていました。 「これからも仲良くしてね。」 彼のお母さんは言いましたが、私は内心「絶対嫌だね」と思いました。 まさか、いじめてきていた相手に助けられようとは人生わからないものです。 その後、下着で立たせることが問題になり、バケツを持って廊下に立ちことになりました。 昭和時代はこんなものです。 今、やったらPTAが謝罪集会を要求するでしょうけど(^_^) ここまで読んで、「え、ゆーり、まさかいじめっ子が初恋?」と思った人もいるかもだけど違います。 そこまで、お花畑じゃないです。笑 5年生になった時、かまってくれる男子が現れました。 彼は勉強もできて、スポーツもでき、性格が優しい、顔がかわいいので、当然女子からの人気が高かったです。 彼は差別的な目線を向けて来ず、毎日普通に話しかけて来てくれました。 私がバカなのは彼もわかっているようで、気づかれないようにフォローしてくれました。 その頃はテストをやると、終わった人から答案用紙を前に提出して廊下に出て行くのですが、彼は私の横で立ち止まって「ゆーり?ゆー?どっち?」と言って机をトントンしてくれます。 ほとんどの人はやらないと思いますが、私は名前を途中までしか書かないことが多く、その時も「ゆー」としか書いていませんでした。(^_^;) あわてて「ゆーり」と書いて、名前に×を付けられずにすみました。 返ってきたプリントの名前の所には○を付けてもらって母にも褒められました。 優しい彼にいつも助けられていました。♥ 学校に行くのが楽しくなり、彼に話しかけてもらえるのが楽しみになりました。 これが初恋なんだ! 心が満たされた瞬間でしたね。 でも私の自己肯定感は低く、彼から「バレンタインデーのチョコ欲しいな」と言われても恥ずかしくて渡せませんでした。 ランドセルの中にチョコは入っていたけど、他の男子に義理チョコは渡したのに、 彼から「チョコちょうだい」と言ってもらえなかったので、渡せませんでした。(T_T)
・ゆーり中学生 / 初恋をかかえて、だけど距離がどんどん開く 1979年4月 〜 1982年3月
バレンタインデーにチョコを渡さなかったからか、だんだんと彼との距離が開いてきたように感じます。 自分で勝手に感じていただけかもしれないし、彼の周囲の男子には義理チョコをあげて、彼にだけあげなかった構図になったこと、反省してもしきれません。 でも初恋ってそんな感じなのかもしれません。 まんがの世界でも多い展開ですよね。 ゆーりもいつの間にか6年生です。 彼とは同じクラスなので、テストの時の名前チェックの机トントンはやってもらっていました。 いつまで名前書けてないんだよ!と思う人がいるかもしれませんが、それが私でした。 彼は違うグループにいるようになったので、以前ほどは話せなくなりました。(T_T) 6年生になると性格がそれぞれ際だってきました。 不良っぽくなる子 正義感満載の子 エリートっぽい子 だらしない子 ゆーりはだらしない陰キャの席を独占中!笑 そんな折、高学年になったのでマラソン大会が開かれました。 その練習の時に、どんどんみんなが脱落して行く中、私は黙々と走っていたのです。 そしたら、いつもは怖い不良っぽい女子が声をかけてきました。 「え、ゆーりやるじゃん!」 「結構速いし、みんな脱落してるよ。」 「ゆーり!やればできるんだよ!ガッツあるよ!もっと胸はれ!」 「自分に自信を持ちな!」 と言ってくれました。 その頃、私の身長は130センチ位で、小学2年生レベル、彼女は身長が160センチはある大人っぽい不良さん。 大人っぽい彼女に認められて、ものすごくやる気がでました。単純です(^_^) 彼女にもらった言葉は、今後ゆーりの心の支えになったんです。 「やればできるんだよ!」 魔法の言葉です。♥ ここから彼女とも仲良くなりました。 ~学級崩壊~ そんな本当は優しい彼女にも譲れない信念があったのです。 その頃の担任は頭がバーコードの男性教師でした。 話を聞かないゆーりは事の始まりがわかっていないのですが、先生と女子生徒でのバトルが過激に発展してしまいました。 女子生徒たちが授業をボイコットし屋上にバリケードを作って立て籠もったのです。 私も女子なので、みんなが出て行こうとした時、ついて行こうとしました。 その時、彼女に「ダメだよ。着いてきたら。ゆーりも処分されちゃうよ。」と言われました。 立ち止まった私を教室から男子が来て、手を引いて教室に連れて帰ってくれました。 女子のいない教室で、何事もなく授業が始まりました。 しばらく経って、ガシャーン!と音を立てて廊下側の窓ガラスが割れました。 授業は中止男子たちが今度は教室にバリケードを作ります。 廊下側に次々女子がバケツの水を投げかけます。 ガシャーン!ガシャーン!と窓ガラスが次々割れます! 悪夢のような光景でした。 その時も、数人の男子は、私や弱い男子を守りながら全面に出てくれました。 6年生になるとしっかりした子が増えて来ますね。 結局、職員室から駆けつけて来た先生たちに廊下にいた女子は取り押さえられました。 しばしの平穏の後、みんなで教室の掃除をしたのを覚えています。 その時は誰も文句を言ったりしていなかったな。 私だけ顛末がわかってなかったのかもしれません。 翌日から、平常に戻りましたが、彼女だけ戻ってこなかったです。 ~中学校入学~ 中学校に入学して完全な不良になった彼女と再会しました。 「元気そうだね。」 「私たちとは一緒にいてはダメだよ。」 彼女は他人を思いやることができる大人なんだと感じました。 初恋の彼は同じ中学校に行きましたが、クラスも違うので会う機会もなくなりました。 遠くから彼を見つめる日々のおかげで、なんと視力が1.5になりました。笑 小学生の時に渡せなかったバレンタインデーのチョコをやっと渡したのはこの頃です。 中学校になって会えなくても、チョコを渡したいと彼の自宅までチョコを持って行きました。 彼にチョコを渡してすぐに帰るつもりだったけど、 「上がっていきなよ。」 と言ってくれたのでお邪魔することに・・・ めっちゃ緊張した上に、この日はなんと不運なことにめばちこ(ものもらい)ができていて、彼に見られたら恥ずかしいと思っていました。(乙女ですよね~) 「めばちこできてて恥ずかしい」と言うと 彼は私の顔をのぞきこみ(顔から火が出そうでした) 「全然気にならないよ。目立ってないし。」と優しく言ってくれました。(^_^) その後、部屋で彼が子どものころ井戸で遊んだ話とかたくさんお話をしました。 私はずっとドキドキしっぱなし!♥
中学生で身長が20センチ以上伸びました 1978年4月 〜 1981年3月
・ホワイトデーのお返し 1978年4月 〜 1981年3月
~バレンタインデーその後~ 数年越しのバレンタインデーのチョコを渡せた私は幸せをかみしめながら帰宅しました。 そこから1ヶ月後彼から「家の近くにいるから出てこられる?」と電話が・・・ 慌てて行くとリボンの付いたプレゼントをくれました。 「これ、ホワイトデーに」 そのプレゼントを渡し、彼は行ってしまいました。 家に帰ってプレゼントを開けると、とてもかわいいウサギのぬいぐるみが入っていました。 実はこのウサギのぬいぐるみは現在も大切にしています。 ずっと大切に箱に閉まっていたので、新品のまま、時の流れを忘れさせます。 このウサギのぬいぐるみは夫から逃げて別居する時に、しっかりレスキューして、今は箱の中から出てきています。 このウサギのぬいぐるみを見る度に、儚い初恋を思い出します。 彼とは付き合ったりできませんでしたが、 小6 中3 高3 と同じクラスになったので、小中高全てのサイン帳に彼の名前があります。 全て卒業の年に同じクラスになるって、なかなかないですよね。 すごく縁のある人だったのだと思っています。 私が上手くコミュニケーションを取れない、そんな時代を彼に支えてもらえたのかもしれません。 今はおじさんになってしまっているだろうけど、私の中では美しい思い出のままです。(^_^) ~運動神経が成長~ 中学校にいる間に身長が20センチ以上も伸びました。 勉強もだんだんとできるようになり、運動神経はグンと伸びました。 運動神経は不良のお友達にもらった言葉の 「やればできるんだよ!」のおかげな気がします。 体育委員をやったり、リレー選手になったり、クロールがクラスで一番速かったり、 幼稚園時代にまっすぐ走ることができなかった私が、こんなにできるようになるとは、一番ゆーりが思ってなかったですね。 その中でも、体育の授業でバスケットボールをやった時、初めてだったのに先生の言う通りにやったらシュートがどんどん決まり、3点シュートもなぜかできるようになりました。 先生に褒められるだけでなく、シュートのフォーム見本に起用してもらえました。 体育の先生からは「この中学にはバスケットボールクラブがないけど、高校に入ったら絶対バスケットボールクラブに入りなさい。」と言われました。 私も高校生になったらバスケットボールクラブに入ると心に決めました。(^_^) 中学校でも長距離マラソン大会があり、300人中7位で満足できる結果です。 クラスの担任が私の順位を見落としていて、クラス内好成績の発表に入れてもらえませでしたが、満足でした。廊下に張り出された紙には、ちゃんとゆーりの名前が入っているからです。 本当にマンガの世界と同じで存在感ないと見逃されるのですよね~。 存在薄すぎでしたね。 存在は薄かったけど、この頃にはいじめられる子を助けるようになっていました。
振込詐欺被害にあわないために 2016年10月
女性のための安全と自己防衛の防犯ガイドブック 2024年11月
警視総監賞(団体) 2012年4月