高校卒業までは日本で生活し、部活は体育会系。インターハイや国体にも出たが、しかしスポーツもそこまで、学問の成績も、人生もパッとしない。
そんな私に、転機が。親父の得意先の得意先(まったくの他人!)の社長さんが、オーストラリアにて富を築き、もう俺は次の世代の日本人を育てたい!中国人や韓国人は若い時から海外にでて色々と学んでいるが日本は発展途上だ!と1992年に発信。
卒業後大学に行けるかもわからない俺に、団塊世代、体罰ありの頑固親父が『オーストラリアに行く気あるか』と聞いたのは受験始まる直前。
逃げ出したい。親父とも離れたい。唯一の味方だった母はその話を聞いた後成田山へお参りに。『あなたの息子は今日本で父親に縛られている。解放してあげなさい』といわれたそうで。
オーストラリアに来た時、社長さんの準備した3ベッドルームのひと部屋で生活し始める。残りの二部屋は同じ様な理由でオーストラリアに来た21歳関西の製鉄工場の2代目。俺はよくしばかれたが、弟が欲しかった!とよく可愛がってもらった。もう一人はオージー、製鉄メーカーの息子20歳。その二人は社長さんの下で仕事を始める。私は、、、とりあえず君は英語を勉強しなさいと言われ、語学学校へ。学校終わりは社長さんのオフィスに行き仕事がもらえないかと探った。その頃PCも会社で普及し始めタイピングが出来る秘書がかっこよく、しかし僕にはキーボードが無い。A4の紙に書いて練習したがチャンスはこなかった。
社長さんは元から私に基本である英語を身につけさせたかったのだ。
一番年下18歳ながら生意気に日本人相手にも頑なに俺は英語を勉強しにきてる!と英語で話した。オージーの同居人と、そのいとこと一緒にパブによく行った。酔うと適当な会話をし、通じなければ何度もリピートした。『外人が日本語喋ればいい』と思っていた私だが、英会話力は中々のレベルに達していたと思う。なぜなら。。
語学学校で終わらせず、短期大学に受験。しかしリーディング力がなく桜散るの手紙。受付に俺はやる気がある、出来るんだ!と英会話で直談判。桜咲く!
その後大学を目指すが、桜散るの手紙。直談判。桜咲く!
AUサーフショップ店長
AUロジスティック統括
日本の支社長
今、オーストラリアにて色々やっている元気な私と話をしてみませんか?いる場所や環境で人生が変わる。君は君であってよい。
自分の今ある世界に満足していない方、または殻を破りたい方とつながりたいと思っています。
ただ、何んとなーく聞いてみよう、でも構いません。
こちらも何んとなーく話をし、何んとなーく全体図がつかめてきたらズバット鋭い話をするかもしれませんヨ!