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乳がんと子宮頸がんの記録#2 家族に伝える。

突然の乳がん告知。頭の中が真っ白になった。私には夫と中学生と小学生の子供がいる。この幼い子供たちに何て説明すればいい?そして私はこの子たちが成人する姿をみる事が出来るのだろうか?父をがんで亡くしたばかりで母の心には、ぽっかり穴が開いた状態なのに娘が癌になった。って言わなきゃならないの?残酷すぎる。これから過酷な治療がはじまる。主治医からは髪の毛も抜け落ちて薬の副作用でむくみが強く出る。と言われた。体調だけではなく見た目も変わるのだ。家族に何て言おう。容姿が変わるから隠しきれないだろう。どのくらい泣いただろうか。夫にすがりついて泣いた。怖い。とはじめて言葉が出た。夫も泣いていた。大丈夫と言いながら泣いていた。散々泣いて私はもう泣かないと誓った。泣いていたら病気に勝てない気がしたし何より家族が不安になると思ったから。子供達には明るく伝えた。お母さんの胸に悪いものがあるからそれを手術で取ってもらうからちょっと入院する事になっちゃった。中学生の息子は黙っていた。小学生の娘は嫌だと泣いた。抱きしめる事しか出来なかった。抗がん剤などの治療の事はまだ言わないでおこうと夫と決めました。そして入院し手術を迎える事になりました。
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胃癌

2020年3月5日  癌の告知される。先生が2回同じ事を言っていたのを覚えている。「わかったのだから、早く手術をしたほうがいい」と仰っていたが、後の事は、もうわからなかった。記憶にないのです。次の日にご主人と2人で来て下さいと、TEL下あり。その次の日に、がんセンターで検査。2020年4月5日に手術となった。コロナの中で1人で、タクシーで行き、1人で手術を受けた。コロナの中なので、面会なし。立会もなし。心の中で、『私の人生はこんなもんか」と寂しく思った。1週間後退院を1人でし、タクシーで帰宅した。帰宅したら、直ぐに洗濯をし、干して買い物に行きました。まだ、そんなに動ける身体ではないのに。胃が3分の1しかないのに。主人が12時で仕事がおわりなのですが、残業でいつも、1時頃に帰って来る。「おれ、もう弁当はいやだぞ」と言ってきた。私は病み上がりなのに、作るしかないのかと思った。退院したその日から、食事、洗濯、ETCをやりました。思いやりの言葉は一言もなし。1か月後に介護の仕事復帰をしました。2ヶ月後にジムに行き体力を付けました。主人暖かな言葉なし。アルバイトのお金は全て主人のおこずかい。欲しいものを買い、女にかなり使いました。今で言うパワハラ夫なのだ。私の身体がそれどころではなかったのです。あれから、4年がたち、良くここまで頑張れたと自身で思います。1人の子供が温かいラインの言葉。ありがとう。私は孤独が好きだし、心も強い。1人で気が楽で良かったです。商品紹介致します。お気軽にお電話くださいませ。
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乳がんと子宮頸がんの記録#1 がん告知

はじめまして。さくらと申します。私の乳がんと子宮頸がんの記録です。2012年、春。胸にしこりを見つけた。ものすごい胸騒ぎと焦りがあり冷や汗が出るほどだった。すぐに乳腺外科へ検診に行き小さなしこりが2つあり細胞診をすることになった。結果は2週間後。この2週間が地獄のように辛い日々になる。結果がわかるまでネットで色々調べるがいい答えなんて見つからない。ネガティブな感情ばかりで2週間過ごした。2週間後乳がん告知を受ける。限りなくⅢに近いステージ2bリンパ節にも転移があった。診察室の椅子から崩れ落ちそうになった。なんで?どうして?わたしが?物凄い恐怖に襲われた。信じられずにいた私に医師は言った。「がんばりましょう。私も最善を尽くしますから。」この言葉に我に返り「負けられない。絶対に負けられない。」と心に誓った。宣告された患者は嫌でも闘うしかない。闘うしか私には選択肢はなかった。ここから私の人生の第2章が始まった。ここからが始まりでもっとつらい現実が待っていました。
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乳がんと子宮頸がんの記録#11 子宮頸がん告知とひどい医者

子宮頸がんの結果の日前日から眠むれなくて朝早くから病院へ行く準備をしていた。子供達を学校に送り出してから病院へ向かった。物凄く緊張していた。病院に着いて待合室で待ってる間手の震えが止まらず早く結果を聞いて安心したいと思っていました。名前を呼ばれて診察室に入り椅子に座ろうとした途端「癌だったから紹介状書くから。」って言われて愕然としました。ここの病院では大きな手術が出来ないから他の病院へ紹介状を書くと・・私はもし何かあった時は「この先生にお願いしよう!」と決めていた医師がいた。でもここの医師は自分の先輩がいるからと違う病院を進めてきた。押し問答がはじまった。どちらも譲らず・・・私は医師に自分に命だから自分で決める!と言った。その医師は人が変わったように冷酷に「私は命の保証しないですから勝手にしたらいい。」と言ってきた。そして子供のようにむくれた。これにはさすがに呆れました。私はこんな医師に何年もがん検診をお願いしていたのだ。自分を殴ってやりたい気分だった。見かねた看護師さんが仲裁に入った。むくれた子供のような医師に一言言って診察室を出た。(それは秘密です 笑)この後看護師長さんが来て私に平謝りで私が希望する病院へ連絡してくれこれから向かいます。と予約もしてくれた。看護師長さんにお礼を言ってすぐにセカンドオピニオンを受ける為自分で決めた病院へ向かった。つづく・・・
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乳がんと子宮頸がんの記録#14 良いドクターと出会うため。

婦人科のセカンドオピニオンを受けその先生に決めた。私は乳がんの時もセカンドオピニオンを受けその時の病院へ変更しています。主治医との出会いは今後を左右すると思っています。だから病気が発覚した時はみなさん必ず信頼できる医師を見つけてほしいと思います。それをせず後悔してる人を沢山見てきました。2度目のがん告知。かなりのダメージでしたが落ち込んでる暇はありませんでした。乳がんで手術した傷がまだ痛むのにまた手術をしないとなりません。子供たちに何て言おうか・・親には何て言おうか・・友人たちには何て言おうか・・頭の中は色んな事でいっぱいでした。
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