ダブルバインドと無礼講
無礼講 昭和の名残りなのだろう。酒席で上司部下の関係を一旦無くして、今日は大いに楽しもうじゃないか、というメッセージだが、では部下が上司にタメ口を使ったりしたらとんでもないことになる。だから、無礼講は無礼講ではなくてお飾りにすぎない。本気に、辞書的に受け止めとて無礼講してはいけない。表のメッセージと裏のメッセージが矛盾している命題をダブルバインドと呼ぶが、とても複雑でめんどくさい。だがしかし、私たちの日常はダブルバインド嵐が吹き荒れている。生きづらさを感じるなぁ、そんなため息を生む温床を覗き込むとダブルバインドが地雷のように埋め尽くされていることにさらにため息が増える。矛盾律を論理的に解決しようとしても、矛盾律は唯一絶対の行動規範を導き出せない。アポリアだから。そういうルールなのだ。では、同じ土地に行きながら生きづらさを感じる人とへっちゃらな人がいるのは事実。前者は論理のみで解決しようとしているからで、へっちゃらな人はそもそも論理をそれほど信用していないのではないだろうか。むしろ、状況に応じて論理的な命題は論理的に解決し、曖昧な事象は曖昧にぼんやりと対処している。私もそれでいいと思ってる。で、生きづらい人(論理的思考に拿捕されている)に提案したいのはその命題が矛盾律、ダブルバインドだと分析できたら、「逃げる」「離れる」「関わらない」という回答をあらかじめ用意しておくことである。「解なし」という結論も論理的に正当な帰結なのですから。
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