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ありがたみがわかる時

こんばんは。悩み相談などお聞きしていますカウンセラーのやまだです。3連休だった方はいかがお過ごしでしたか?私もココナラ以外の仕事はオフで、ハンバーガーを食べに出かけたりのんびりと過ごしました。前にホテルで働いていた頃は経理・総務だったのになぜか元旦から出社する決まりがあったのです💧いくら年中無休とは言え、事務員が元旦から出ないといけないって(-_-;)土曜日も出勤で当然GWもお盆休みもなく、あそこで勤務をしている時に3連休できたのはたった1回だけ。連休もほとんどありませんでした。健康診断の日以外は有休も使えず(;・∀・)結婚相談所時代も土日祝は出勤、別の会社では日曜は休みでも土曜日は出勤で祝日は休みだけど祝日を含めて週2日しか休めませんでした。今は本当に久しぶりに土日祝休み、GWもお盆休みも年末年始もある職場で働けているのですね~多くの人にとっては当たり前の連休が私にはありがたくてありがたくて。3連休でさえ、こんなに休ませてもらっていいのかなぁ~なんて思うわけです。あまり感謝の気持ちが起きないという方がいたら、もしかしたら恵まれ過ぎていろんなことが当たり前になっているのかもしれませんね。私は聴力を半分ぐらい失った時、目が見えていること普通に歩けていること味覚があり美味しいと感じられることなど、当たり前と思っていたことが実はとてもありがたいことだったと気づきました。事故に遭ったりコロナの後遺症などで、誰でもいつこれまでの『当たり前』を失うかわかりません。大好きなふなっしーの言葉で1番好きなのが恵まれた物を数えて他にも、生きてりゃいいじゃん飯うましとか、感謝こそ幸せの源なっしーなど
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阪神淡路大震災があった日。やっぱり忘れられない。

私は今も生きている。でも、あの日、普通に来るはずだった明日が来なかった方々がたくさんいたんだ。あの日から私のモットーは「せずに後悔するなら、して後悔した方がいい」になった。「人はいつ死ぬかわからない」ということを学んだから。1月17日5時46分。当時私は5年生。覚えていることといないことと…。 お陰様で、大きい被害はなかったものの家の中は悲惨だった。テレビが飛んで畳に穴あいたり、ピアノが動いていたり、食器の残骸がリビング中散らばっていた。揺れている最中に二段ベッドの下から両親の寝室に走ろうとする1年生の妹に、『行ったらダメー!布団かぶってなさい!』と叫び、両親の安否確認をしたのは覚えてる。怖かったけど冷静だった。 定かではないが記憶では2.3日前にたまたまあった小学校の地震避難訓練の知識様々!!いや、そんなこと実際に役立てたくはなかった、、、それから1日中、妹はお布団を頭からかぶりベッドから出てこなかったような…そこまで被害がない地域だったものの、連絡のつかない祖父母のことがずっと心配だったり無情にもお腹は空いたのかカウンターに立ったままボーッとして食パンをかじったような記憶もある。けど、その日どう過ごしたのか、いつ学校が再開したのか…いつライフラインが復活したのか、いつ普通の生活が戻ったのか…ほとんど何も覚えていなくて。いつだったか大人になり、母に聴いた記憶が私の記憶となった。割れた食器だか何だか、ガラスを踏んで怪我したのにすぐに職場に行ってしまった父が心配だったりしたのはなんとなく覚えてる。 後の母談だが、5年生の私は「私たちを見捨てるの!!?」と父に叫んだのだとか。「みん
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