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高卒デザイナーの独り言(学歴のはなし)

高校卒業して、進学校卒フリーターとなった私は学歴が必要ない仕事を選ぶしか手段がありませんでした。最初にも触れましたが、両親が反対していたため、美大や専門学校の道を断たれておりました。それには一つ理由がありまして、天才肌の次男の兄が、アニメーション専門学校に入学したのに3ヶ月で辞めてしまったのです。当時から専門学校の入学準備金・授業料は高額でした。美大にしても同様ですが、何より画材・道具・材料費の負担も大きい。学校指定のものを購入しますし、ここで大きな出費があるわけです。つまり、両親が懲りていた矢先に「ゆきにょ、お前もか」みたいな。しかも5人兄弟の大家族(汗即戦力で働きながら学ぶしか、手段がなかったのです。●アニメーター話が昭和から平成初期の話なので、現状はよくわかりませんが当時、アニメーター自体は経験不問でした。動画マンとして優秀だと、動画チェック、原画マン、原画チェック…と出世ができると聞いていました。●デザイナーバブルの時に、学歴無関係に、優秀なデザイナーが大量発生していたせいか、事務所によっては学歴不問だったようです。これは経営者の考えによりますが、景気が良かった頃、デザイナーの仕事も多かったので、新入社員を雇うところも多かったと思います。しかし、こういう時期の新入りは、大抵、雑用を膨大にやらされていたりして、やはり長続きが難しかったと聞いています。または、ノウハウだけ覚えて、辞めてしまうケースもよく耳にしました。●学歴差別実を言うと、アニメーターもデザイナーも、別の意味での学歴差別が存在しました。学歴が高い方が、パワハラを受けやすい…と言う点です。「専門学校に行ってたの
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高校卒業してすぐにプロの仕事ができた理由(まとめ)

子どもの頃から絵を描くことが好きだった子には多いと思うんですけどだいたい学生時代から「イラスト描いて」「これ描いて」とか、学校行事でイラストが必要で、先生やらクラスの子から頼まれる機会が多いと思うのです。私も振り返ると、学芸会の舞台の大道具の背景だとか、文集に入れる挿絵だとか、やたらと頼まれたんですよね。高校時代の時は「絵、ちょうだい」みたいなのも多かったです。まぁ、材料費程度は貰ってましたね。だから、仕事を選ばなければ、チャンスは意外と多い。しかし、お金になるとか、生活していくくらいの収入になるか、ここが難しいです。一生懸命描けば描くほど採算が合わなくなる。絵を描いて、左団扇の生活できてる人は、ほんの一握り。アニメーターですら、プロの仕事とはいえ、労働条件が悪すぎて、技術を要する割には後継者も育ちにくい。美術大学には、両親の援助もなく進学することは難しく、また、進学したとして、芸大ですら就職先が難しかったり、教授に「どこぞの会派に入れ」とか、趣味で油彩画描いてる一般人と同じ道を進ませようとしたり…って、この話も長くなるので後ほどって感じですけど。油彩画の公募展も大学もですが、とにかく、大きな作品を描かせようとするんですよ。力量がわかるからっていうのも、理解できるんですけど。狭い日本で50号、100号の絵がガンガン増えたところで、倉庫も飾るとこもありますか???????って、そこんとこも謎すぎるんですけど。すいません。まとめになってないですね。「絵で食っていく」というのが当初からのテーマだったのでアニメーターでは、食べていけないことがわかりました。今の現状は知りませんが、大きな
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みんな違ってみんな最高

これを読み終わったときあなたは真面目に考えることを辞める人間になります( ´∀` )フフフ変人は褒め言葉の感情に寄り添う傾聴人「K」です。こんばんは✨犬も歩けばどうなりますか?蝶になり空を舞う飼い主を散歩させる人に進化し宝くじに当たるケルベロスになると見せかけて蛇溶けて川になるアンパンマンとサンタさんの中間になる石の上に3年座る気持ちは?足が君の名はと叫ぶユニクロの半額Tシャツの気持ち石の上に3年いる気持ち3年ってどのくらいだっけカップ麺作る長さの何倍だカップヌードルプロのCM凄い好き馬の耳に何を聞かせればいい?たぬきとうさぎの唄間違えた、げんこつ山のたぬきさんカチカチ山カチカチ聞こえてるってことは燃えてるねはっけよいのこったソーラン節Qっていう質問に対してAなんていちいち言ってられません。だって答え想像できてるでしょ。CとかPくらいのこと言いますよ。こんなんだからでしょう。就活で不採用になった時理由聞きました。「社会という集団に向かないと思った」それもう行き場ねえだろ。4回目の最終面接で言うなよ節穴かって思ったことは内緒です( ´∀`)集団生活する動物達の集団に向かないみたいです美大という、個々放任主義の集団に居ました。変人であることが当たり前。個々の確立の仕方が凄いので基準がないんです。赤青緑レインボー髪の色も服も多種多様みんな違ってみんな良いの文化、何を生み出してもどんな姿をしても否定されません。自分を持つことの難しさと素晴らさをそれぞれが知っていました。その変人の集まり、否定されてきた人たちの溜まり場だったと思います。だから余計に自由になれたんでしょうね。そして否定し合
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私の歴史 〜美大予備校編〜#2

高校2年生中盤。俺は美大を受験する事に決めた。決めたのは、ずっと絵を描いてきたから。描いてきたのは、唯一褒めてもらえる事だから。別にやりたい事があるわけじゃない。ただ、世界は俺を見くびってる。黙らせてやりたいだけだ。これは、これから俺が挑む闘いの話。●目次・挑戦・講評・三年・迷走・狂気・異変・飛翔・墜落・挑戦美大の予備校に通い始めた。デッサンを繰り返す日々。俺の通う高校は美術系で、その中でも上手いと言われてきたけど、まったく、驚いたよ。浪人生も一緒にデッサンを行うのだが、化け物か。レベルが違いすぎて出鼻を挫かれる思いだ。それでも俺はやるぞ。打ち勝たねばならない。鉛筆を削るカッターを、じゃなくて尖り抜いた鉛筆を、未来に俺は突き刺すのだ。・講評制限時間を設けられて、デッサンを行う。4時間デッサン、6時間デッサン、時には12時間。静物、石膏像、自画像などなどその後には講師による講評会が行われるんだ。全員分、順位が付けられてひとりひとりのデッサンが講評される。噂によると、有名な予備校は上位生徒にしか講評してくれないらしいからうちはまだ優しいほうか。とはいえ、俺の順位は30人中15位をいつもキープって感じでなかなか成長せず、酷評続きだった。あれ、俺、上手いはずだったんだけどなあ。そんな幻想は早々に捨てる事になった。・三年さて、俺もいよいよ高校3年生。まだまだ遠かったはずの受験ってやつの姿かたちが煙のなかから輪郭を覗かせ始めた。俺のデッサンと言えば、そりゃ相も変わらずで。学校が終わって、予備校に行って、酷評される日々だよ。俺の家庭には金が無いから、バスに乗って通えなくなってきた。バス停を辿
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美大総合型/志望理由

※来年度入試に向けて改訂中です。
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