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鬱の薬は、個人的意見だが正直言ってドラッグに近いと思った。体に合うまでの薬を探すのに、いくつもの薬を服用してきたが副作用は強く、飲んでしばらくは放心状態と睡魔との戦い。頭と体と心を麻痺させ、薬がないと生きていけないような気持になる。確かに、薬を飲まないと起き上がれない 起きても体が動かない動かすたびに頭の中で砂が流れるような音がする。パニックを起こすと、自分では全くコントロールできなくて吐き気と混乱と震えで、その場から消えたくなる。自分の存在を抹消したくなるのだ。最低限の薬にしてもらったものの、不安が襲いお守りの薬を持ち歩いた。買い物に行くと吐き気と震えで15分もお店にいられない。狭い場所、人の多い場所、高い場所、行動範囲はどんどん狭くなり「明日こそはちゃんとしよう」そう寝る前に決意しても朝起きると、倦怠感と焦燥感で身動きが出来ない。先の見えない不安を抱え、もっと気楽に生きられないものかと思うが考えれば考えるほど、過睡眠に陥り 1日何もできなかった自分を責める何もできなかった日の次の日は、その分を取り戻そうと必死になるが頭痛と吐き気との戦いが始まり、結局 市販の鎮痛剤を服用する。鎮痛剤は欠かすことが出来なくなり、毎日2錠を3回服用する。もはや、鎮痛剤の役目は果たしていなくて、体に効かなくなっているそれでも、飲むと安心し気持ちが楽になる。薬物依存。鬱の薬を減らしても、自己流で市販薬を服用していたら本末転倒。 それでも辞めることは出来なかった。母は、日に日に体調不良を訴えるが食欲はある。こっそりと、自分の好きなお菓子を買ってきて隠してある。私が二階で仕事をしていると、むさぼるように
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生きるため

母は、私の病気を理解しようと歩み寄ってくれていた。それが逆に、何もできない自分が悔しくて 母に辛く当たった。姪っ子が結婚を機に家を出たので、次男は1階の部屋を使うことになった。もう中学生、いつまでも母親と一緒の部屋はかわいそう。私は2階の部屋に鍵を付け、誰も入ってこないようにした。死に対する恐怖感はなく、むしろ切望した。痛みも感じない体、食に対する執着もなくなっていた勝手な親である。次男の気持ち、子供たちの気持ちを分かっていながら私は自分勝手な考えしか頭に浮かんでこない。日々の生活は切迫していた。母は年金暮らし。月4万程度。私の土日のパート代も知れたもの。光熱費は私のカード払いにしていたが、当然毎月足りない。足りない分はリボ払いにして しのいでいた。それでも「お金が足りない。あれが食べたい。これが食べたい。灯油が無くなるからお金出して。」そう言う母に、嫌悪感を感じた。お金がないことは、家族の和や心まで蝕み バランスが崩れていった。私にできる事・・いろいろ考え 平日「チャットレディー」を始めた。家族に「お金の為だから」と伝え 自分をさらした。ノンアダルト登録でも、お金を支払ってチャットで入ってくる「お客」は勿論、そういう事を望んできた。やんわりと拒否をしても、豹変する男達笑顔で接しながら、心はますます壊れていった。その中でも、数人の男性は「あなたは脱がなくていいから、話だけしよう」そう言ってくれる人もいた、なかでも一人の男性は私が不利にならないように色々配慮しながら、時間をたっぷり使ってくれた。「こういう男性も世の中にいるんだ・・」私はこの男性に心が救われた。鬱の薬はどんどん増え
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父の死

父の姿は日に日に衰弱していた。あんなに大きくて強かった父。体の弱かった私を、常に守り 毎日の散歩に連れ出してくれていた父。認知症に、パーキンソン病も併発していて体が硬直していく。着替えやおむつ替えは、介護でやせ細った母には難しくなり ヘルパーさんがいない時間は私が介護をしていた。死に近づいている父を見るのは辛かった。肉は無くなり骨となっていく。腰には床ずれができ、褥瘡(じょくそう)から壊死組織ができ空洞が出来たところから筋肉が腐り始めた。看護師さんに訪問してもらい膿の除去と消毒、点滴を打ってもらっていたが限界に達し父は入院した。父が入院してからの私は、恐怖で父に会いに行けなくなっていた。ある日、朝早く母が部屋に来た。「お父さんが・・もう限界なの。まだ少し意識が残っているから、一緒に病院へ行こう?」そう言われたが、私は断った。「嫌だ。お父さんは死なない。会いに行かない。」そう言って布団をかぶった数十分後、姉から電話があった。「お父さん、息を引き取るよ。それでいいの?多分・・今からだと間に合わない、それでもお父さんに会わなくていいの?後悔しないの?」私は急いで着替えて、姉が迎えに来るのを待った。病院に着いたときは、息を引き取った後だった。病室に入った。変わり果てた父。私は近づき頭を撫で「ごめんね。」と呟いた息を引き取ったはずの父は、目を開け少し私の方に目を動かし微笑みと共に目を閉じ 涙を流した。一筋の涙・・私は父を幸せにできたのだろうか。最後の最後まで心配をかけ何一つ 親孝行なんてしていない。だからお願い、まだ死なないで!!心の叫びは届かないまま、葬儀が執り行われた。でも、私には父
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秘密の行動とプライド

娘の気持ちを聞き、私は次の日から行動を起こした。朝起きると、すぐには体が動かない しばらく深呼吸しながら気持ちを整える起き上がると、頭の中に砂が入ったように「ザザーッ」と音がする。重い体を無理に動かし、ふらつきながら家事をする。「鬱」と診断されても、母として妻としての役割を果たしたかった。今までのように動けなくても、時間がかかっても今まで通り家事をした。自分の心・体と闘いながら、娘を避難させる準備を始めた。実家には、痴呆症が悪化して要介護の父と母が住んでいた。娘を預けるのは、母にとって負担になるだろうと思っていた。事の成り行きを話し、母にお願いした。母は、「よく頑張ったね。孫が来れば、家も明るくなる。介護の現場を見るのは辛いかもしれないけど、良かったらおいで。」そう言ってくれた。娘にも、おじいちゃんの状態、おばあちゃんの気持ちを話したそれでもあの子の決意は変わらない。でも・・これがあの人にバレたら・・そう思うと恐怖心が襲った。引っ越しのお金は、母からもらったお小遣いを貯めていたので何とかなりそうでも、当面の生活費は?新幹線代は?色々考えていると頭が割れそうだった主治医に、娘を避難させることを話した。「それがいい。本当は娘さんにもここにきて治療を受けてほしいけど話を聞く限り、娘さんなら新しい地でやっていけそうだ。でも、異変に気づいたら この病院にためらわず受診するように伝えてください。」そう言って手紙を渡された。そして私自身もあの人から離れた方がいいと言われた。「鬱」は薬だけでは治らない。周りの理解や原因を取り除かないと・・「鬱」の原因は夫であること。夫が理解し味方にならないと酷
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