父の死

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コラム
父の姿は日に日に衰弱していた。あんなに大きくて強かった父。
体の弱かった私を、常に守り 毎日の散歩に連れ出してくれていた父。
認知症に、パーキンソン病も併発していて体が硬直していく。
着替えやおむつ替えは、介護でやせ細った母には難しくなり ヘルパーさんがいない時間は私が介護をしていた。
死に近づいている父を見るのは辛かった。肉は無くなり骨となっていく。
腰には床ずれができ、褥瘡(じょくそう)から壊死組織ができ
空洞が出来たところから筋肉が腐り始めた。看護師さんに訪問してもらい
膿の除去と消毒、点滴を打ってもらっていたが限界に達し父は入院した。

父が入院してからの私は、恐怖で父に会いに行けなくなっていた。
ある日、朝早く母が部屋に来た。
「お父さんが・・もう限界なの。まだ少し意識が残っているから、一緒に病院へ行こう?」そう言われたが、私は断った。
「嫌だ。お父さんは死なない。会いに行かない。」そう言って布団をかぶった

数十分後、姉から電話があった。
「お父さん、息を引き取るよ。それでいいの?多分・・今からだと間に合わない、それでもお父さんに会わなくていいの?後悔しないの?」
私は急いで着替えて、姉が迎えに来るのを待った。
病院に着いたときは、息を引き取った後だった。病室に入った。
変わり果てた父。私は近づき頭を撫で「ごめんね。」と呟いた
息を引き取ったはずの父は、目を開け少し私の方に目を動かし
微笑みと共に目を閉じ 涙を流した。
一筋の涙・・私は父を幸せにできたのだろうか。最後の最後まで心配をかけ
何一つ 親孝行なんてしていない。だからお願い、まだ死なないで!!

心の叫びは届かないまま、葬儀が執り行われた。
でも、私には父の死が受け入れられなかった。火葬のボタンを押そうとする兄に「死んでいないのに、なぜ焼くの!!やめて!!」そう言いながら取り乱した。 悲しみは家族みんな同じだとわかっている。
淡々と父が亡くなった事実を受け入れ作業する兄弟を見ながら、私は他人事のように部屋に閉じこもった。
仕事にも行けなくなり始めていた。笑顔でお客様に接することなどできない。
でも、生きていくには働かなければいけない。
無意識に父のもとに行きたいと、思うようになっていた。

「ママ・・お願い・・こんなことしないで。僕が守るから。お願い。」
次男の声がする。手首を抑えている次男。
やってしまった・・・また次男を傷つけた・・・
次男は私の部屋から、刃物類を一切隠し「僕が守るから、二度としないで!」
そう言ってくれた。なんて情けない母親だろう・・
鬱の薬の種類が変わった。前より動けるような気がするが、眠気が半端なかった。睡眠剤は中止してもらい、薬との葛藤がまた始まった。
でも今は、薬でコントロールするしかない。いつか薬に頼らない日を願って。
仕事にも復帰した。
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