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母の死ではじめて知ったこと【言の葉Cafe深夜営業】

昨日の流れから、そのまま母の話を書こうと思ったのですが・・・ どうにも筆が重く、時間ばかりが過ぎていきます。 母の命日にポッドキャストをした時は普通に話せたのですが、文章にするのはまた違うのかもしれません。 時間が掛かりますので、少し文章が歪になるかもしれませんが、それが「気持ち」なのでご了承いただけると幸いです。 母が無くなった時については、正直そのものよりも、その時の時間の過ぎ方が、時間が歪んでいたような気が未だにしています。 ふたり暮らしをしていた母と僕。 「その日」も普通に朝を迎えました。 少なくとも僕にとっては。 冬休みの最後の日。 「じゃあ、買い物行ってくる」と言って外に出た母。 日常のこと。 僕は振り返ることもせずに軽く返事をしただけです。 だって、日常のことですから。 テレビを見て、本を読んで、ぼんやりして。 元々かぎっ子です。一人で留守番は毎日の事ですから慣れていました。 多少の時間なら。 その日はずっと帰ってこなかったです。 お昼になっても、お昼を過ぎても。 ずっと。 やがて夕方になり、 既に「日常」とは言い難い時間の不在でした。 心配はするけど、小学生にどうしろと? 日が暮れたころ、背広姿の男性が訪ねて来ました。 「お母さんの話を聴かせて」と。 僕はパトカーに乗せられて、最寄りの警察署に。 生まれて初めて乗るパトカー。 でも、まったく嬉しくはありません。 パトカーに乗る時に、近所の人々は好奇心に満ちた目で見てきます。 その目が、いまのこの状況が異常だと教えてくれました。 警察署でしばらく待たされて、遠巻きにチラチラと僕を見て何か小声で話しているのは分かりま
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母が遺したテッセンが、今年も咲いた

ゴールデンウィーク、実家の庭がジャングル化していたので出かける予定が何もない暇つぶしに草むしりを。無心で雑草を抜いて視界が変わっていくと見えてきたものはテッセン。またの名はクレマチス。薄紫の、静かな花。母が大切にしていた花です。毎年、この季節に母が他界してから、何度目の春でしょう。世話をしているわけではないのに、テッセンは毎年この季節になると咲きます。派手ではない。ひっそりと、でも確かに、そこにある。草むしりの手が止まりました。命は、続いていく花を見ながら思ったことがあります。母はもういない。でも、母が愛でていたこの花は、今年も咲いた。誰かが大切にしたものは、その人がいなくなっても、かたちを変えて続いていく。それは植物だけの話ではないかもしれない。その人が注いだ愛情も、残された人の記憶も、ひっそりと、でも確かに、生き続けている。悲しみと、一緒に生きていくグリーフの仕事をしていると、「いつ立ち直れますか」と聞かれることがあります。私はいつも少し考えてから、こう答えます。「立ち直る」というより、「一緒に生きていく」のだと思います、と。テッセンを見るたびに母を思い出す。それは悲しいことでもあるけれど、同時に、あたたかいことでもある。喪失は消えない。でも、その重さが少しずつ、違うものに変わっていく瞬間がある。今日の私には、それが一輪の花でした。最後に大切な存在を亡くした悲しみを、一人で抱えていませんか。話せる場所を今後展開したいと考えています。
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