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痩せている体型至上主義は変えられない。だから、「私が変わる」。

私は摂食障害の専門家ではなく、底辺でウロウロしている管理栄養士なのですが、ただ過去20年間摂食障害だったという願いもしなかった貴重な経験から、 多分こうなんだろう、きっとこういうことなんだろうということを書いています。 この20年間で社会がアナログから完全にデジタルに変わり、 年功序列という社風は薄くなり、 女性も社会進出しやすくなるなど、時代の移り変わりを感じていますが、 そんな変化していく時代や社会の中で、痩せている体型至上主義は何も変化せずに残っているなと感じています。 痩せている体型至上主義は、変化の波に乗れずに時代に取り残されているということなのでしょうか、 それとも、 豊かな国では、太ることは簡単に叶い、痩せることに努力が必要で、 貧しい国では、太ることは困難で、痩せることは簡単に叶うという 物質的豊かさの違いからくる価値観の違いなのでしょうか。 恐らくどちらもですよね。 痩せている体型至上主義の現在の社会的な意識下では、多くの女性が摂食障害になるリスクを抱えていると言っても過言ではなく、 痩せている体型至上主義ではない社会的意識に変えていくことなんて、物質的に豊かな先進国には相当に困難なことなので、 摂食障害にならないために「生きる自信と強さを身に着けていくこと」 たとえ摂食障害になったとしても「生きる自信と強さを身に着けていくこと」 これが大切だと思っています。 社会に適応できず迷って摂食障害になっても「生きる強さと自信がある程度でもあれば」 自分がそうであったように、何とか社会と向き合っていけると私は考えています。 また、家族も最小単位の社会であるということを
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摂食障害というモラトリアム~予防策は得策ではないと思っています~

ブログにも何度も書いていますが、 私は20年以上およそ人生の半分ほど摂食障害でした。 私は壮年期真っ只中までモラトリアムを体現していたということで間違いないと思っています。 最終的には、私の身体が悲鳴を上げて過食嘔吐が強制終了する形になりましたが、 この強制終了させられる前には、 「自分の人生には自分で責任を持ちたい」 そう思うようになっていました。 育った家庭を恨んでも、生まれ変われるわけじゃない。 良いことも悪いことも、私が招いたこと。 悪いことを誰かのせい、ご先祖様のせい、神様のせいにしても何も変わらないのなら、 自分がここから動こう、現状を動かすことで良くしていくしかないと思いました。 壮年期にようやく初めて「生きる自信と強さを身に付けた時」でした。 そんな気持ちで行動している中で、過食嘔吐は「惰性のように続いていた」ので、然るべき時に取り上げられたんだと思っています。 摂食障害になるような人って、自分軸がブレブレです。赤にも青にも紫にもなれる。自分が何者か分からないためです。 そのため、周囲の環境に飲み込まれやすく影響を受けやすく、あっちに揺れてこっちに揺れて気持ちも落ち着きません。 また、自分軸がブレブレだから周囲と自分を比較してばかりいます。 自分と他人との違いにも敏感です。 他人と違うことを「私は私でいい」と思えないのは、自分軸がなくブレブレだからです。 多くの人が諭してきます。 「自分は自分」「あなたはあなたでいいじゃない」 けれども、 自分軸がない人、自分という人間が分からない人は、そもそもの自分がブレブレだから、自分が自分がわからないので、 「自分は自分」
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摂食障害というモラトリアム

「自分は何がしたいんだろう」「自分はどんな人間なんだろう」 主には青年期において、 誰もがそんな「モラトリアム」的な課題に直面し悩んだことがあると思います。 でもこんなモラトリアム的な時期、 青年期ではなくても、壮年期においてもあるんじゃないかなと思っています。 ちなみに、 私は壮年期ですが、年がら年中モラトリアムみたいなところがあって、 社会との接点がイマイチ掴めていない、常にフィットしていない感覚を持っていて、 社会との違和感を抱きながら、常にベクトル探しをしている感じです。 いい年して地に足着かない大人でダサいなと、自分に対して思ってもいますが、 もしかしたら案外多くの人が、 青年期・壮年期・老年期というステージに関わらず、常にモラトリアム的な課題を持ちながら生活しているんじゃないかなと思っています。 壮年期には地に足着けて生きていけるかと思ったら「何だか違うぞ。そんなことはない」と思えませんか? 全然普通に生きることに迷うし、壁にぶつかる時には、 「自分は何がしたいのか?」「何がしたかったのか?」「何をするためにここまで来たんだ?」 そんな課題に直面していると思います。 老年期には余生を過ごしながら、 自分の人生はどうだったか、自分という人間はどういう人間だったか、 ということを振り返ったりするんじゃないかと思います。 「モラトリアム」って、何となく幼稚でメンヘラちっくな印象を持つ言葉ですが、 人生のステージを問わず、誰もが常に課題として抱えていることなんだと感じます。 ここで突然ですが、摂食障害はモラトリアムを「究極に体現化させたもの」だと思っています。 痩せ細ること
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「物事に対して自分で答えを導き出す時代!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳🤿🏸😎😍

💎「自分で考える」という言葉は、魅力的なひびきを  持っています。しかし、「考える」と「技術」はニュアンスが違います。どうも逆方向のようなと思われるかもしれませんがそんなことはないのです。私たちが知っている思考の達人たちは、ごく普通の人に、考える技術を伝えようとしたのです。情報量の過剰は、いいことなのです。浅い水たまりに大きな船を浮かべることはできません。情報に満ちた大海が必要なのです。そこでこそ、自前の海図が有効なのです。特別製のものでなくていいのです。どこにでも漕ぎ出せる自分の身の丈に合ったものでいいのです。自分で考える時代が始まっているのです。「偏差値教育」、人工頭脳(コンピューター)の発達、情報の氾濫等これらのすべては、人間が自分の頭を働かさなくてもやすやすとベルトコンベアーの上に寝そべったままでゆけるという時代を象徴しているように見えるのです。見えるだけなのです。本を読まない、読んでもマンガかビジュアル雑誌の類。文章は書かない、漢字を知らない、書いてもめちゃくちゃな日本語を書く。話しない、議論ができない、口を開けば「えっー」とか「うっそー」とかしか発しない。ごく素朴な感情のレベルの言葉しか飛び出さないという若者の常態。一番面白いのは、漫画人間と言われた「団塊の世代」が自分たちの子供を「無思考世代」と読んでいることです。確かに、より後の世代を叱咤し批判するのは、激励をし、教育するというひとつの形ではあります。自分がどんなにおぞましくても、それを棚に上げてもおぞましいことをした子供を叱らなければならない時はあるのです。しかし、それは一時的な応急手段なのです。常に正しいのは
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キャリア教育と時代背景

前回のキャリア教育の続きです。この教育が言われるようになったのは、現在の環境が影響しているからなんです。その1つがモラトリアム期間が長くなっていることです。モラトリアムというのは、目的や進路を決めることなくなんとなく過ごしていく時間のことです。発達心理学の言葉で、大人になり切れずに迷っているというか躊躇している状態です。これは、引きこもり問題やフリーター問題にもつながっているんです。そのような背景からキャリア教育の考えが出てきました。また、子どもの社会的自立の遅れや人間関係を作ることが出来ない問題なども指摘されています。この辺りは、ASDのような自閉症傾向の場合もあるので、教育と精神的な面から考えていく必要があるのだと考えます。キャリア教育は、時代の流れの中で出てきた教育の考えなんです。----------------------------ご自身の成長や問題でお悩みの方は、こちらまでご連絡下さいませ。お話を伺わせていただきます。
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当たるおもしろ星座別10月31日から11月6日の運勢占い

すみません、先週忙しくて解説書けませんでした(><)あとメニュー1つだけにして、他のメニューはお休みにしてましたが生理落ち着いたら他のメニューも再開します。ものすごく忙しかった&生理になるし、飲んでるフラワーエッセンスの好転反応なのか、すこーーーーーーーーーーーんと地の果てまで落ち込んで、すこーーーーーーーんと猛烈に人が嫌いになって、メンタル超鬱、あの世の本とか死後の世界の本とか読んだり、幽体離脱を引き起こすヘミシンクとか久しぶりに聞いちゃいました。太宰治のような気分、哲学についていろいろと考えて、超鬱ーーーーになってました。飲んでるエッセンスは複数をトリートメントボトルにしてるんですけど、①自分に必要のないものを吹き飛ばす系の断捨離エッセンス②ありのままの本当の自分を愛すエッセンス③自分が生まれてきた目的を自覚する④自分と本当に気の合う人を引き寄せるを飲んでるんですけど②がすごく効いてる気がする。今までいろんな人からかけられた偏見やら洗脳が解除されて、幼稚園の頃のはじめて自我が芽生えた頃の状態に戻った感じです。もうさ、30過ぎたら、学生時代の記憶もすっかりおぼろげになって忘れてしまったんだけど、急に幼稚園の頃の気持ちを強く思い出しました。幼稚園の頃は人が嫌いで、ずっとうさぎと遊んでたり、植物の世話をするのが好きで、ここは私の居場所じゃない。集団行動嫌だ、強制されるのいやだ、人間嫌い、誰もいない世界に行きたいって強く感じてた辛い気持ちを鮮明に思い出しました。「人が嫌いだったら将来働けなくなるし、ひきこもりになるから、嫌いな子とも演技で我慢して仲良くしなさい。上辺でもいいの」って
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青春期の成長課題

先日、6年単位の成長が大切だと書きました。6年×10回で60歳です。この中で、第4期は19~24歳。大学進学した場合は、大学生の時期にほぼあてはまります。ここでは青春期と呼ぶことにします。私が大学生だったころ(30年以上前)は、「大学は社会に出るまでのモラトリアム(猶予)期間だ」なんて言われていました。だらだらと時間を過ごすノンポリ学生が多かった。現在は、自分磨きや就職準備の意識が高い学生も増えているようです。しかし、「今自分は何をすべきか」を探しているうちに時がたってしまうケースも多い。青春期の成長課題は、「主体性の強化=自分で考えて動く」です。この時期、周囲に流されず、自分で流れをつくることは本当に難しい。学問、仲間(友人)、バイト、旅、就活、恋愛・・・。 そんな動きに、現在の感染症不安がブレーキをかけています。特に授業のオンライン化や学校施設の使用制限が問題になっている。感染防止が最優先なので仕方ないですが、この時期に本当に「もったいない」です。本来、大学設置基準では、卒業に必要な124単位のうち60単位を上限に遠隔授業を認めています。ただし非常時は上限をなくす特例措置を設けており、今はそれが適用されています。現在は感染症が落ち着きつつあるので、徐々に対面授業が再開されていますが、依然として多くはオンラインのままです。「出会いも刺激も少ないまま、大学生活の半分が過ぎる」とため息をつく学生も多い。かわいそう。 大学は、中学高校のようには学校に縛られず、自分ですべきことを考え、動き、コミュニティを切り開きます。それが社会人になる前の貴重な経験、訓練、学びになる。そういう意味で
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