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入学式の前夜祭

包丁を手にした私は、自分の首を切りつけようとした。もう、私には痛みという感覚はなくなっていた。次女が叫び、あの人が飛び出してきた。羽交い絞めにされ、取り上げられ押さえつけられた。意識が遠のいていく、でも・・舌を思いっきり噛んだ、血が出てきた。もうすぐ楽になる。あの人が口の中をこじ開け指を入れた、それでも私はあの人の指と共に思いっきり噛み続けた。痛みに耐えきれなくなったあの人は私を叩き口にタオルを突っ込んだ。なぜ。。楽にさせて・・・押さえつける手を振りほどき、壁に頭を打ち続けた。遠のいていく・・走馬灯のように小さい頃からの出来事が頭の中をぐるぐるする。 おばあさんが会いに来てくれた。「月穂・・自分の力を信じなさい。ここで終わってはいけない。あなたは生きる。生きてもう一度、自分の使命を自覚しなさい。」長男の声がする。姉の声がする。背中が温かかった。いつしかベッドに横たわり、あの人が後ろから抱きしめ「一緒に治そう。協力するから。一緒に病気と闘おう。」そう言ってくれた。私は久々に安堵の眠りについた。気が付いた時、次女の入学式は終わっていた。「ごめんね。。」それしか言えなかった。続きはまた明日・・
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秘密の場所 Ⅴ

引っ越しの準備は着々と進み、私は新しい学校に転校することになった。父は大切にしていた書籍を処分するという。「なぜ?捨てちゃうの?」父は微笑みながら言った「パパはね、中学しか出ていないんだ。漢字もほぼ読めなかった だから、友人から沢山の本を貰っては読んで勉強したんだよ。」そういう事か・・・納得がいった。そして父は続けてこう言った「(情けは人の為にならず)これがパパの信念だよ。意味が分かるかい?」「んと・・人に情けをかけるとその人の為にならないって事?」父は声をあげて笑った。「それは正解じゃないよ。人が困っている時、どんな形でもその人が前に進めるように助けてあげる。自分のできる範囲でね。そうすることによって、今度は自分が困っている時 自然と助けられる。守られていくんだ。月穂、その言葉を頭のタンスに入れておきなさい」「頭のタンス・・」ドキッとした。この事は誰にも話していないのに・・我が家は決して裕福ではなかった。4人兄弟・そして病気がちな私の治療代焼肉と言えば、鶏むね肉とこんにゃくが主役。それでも、クリスマスになると沢山の人がケーキを届けてくれる。父や母の友人たちだ。当時はバタークリームが主流で、苦手な私はバタークリームだけ残して中のスポンジだけ食べた。しかも届く個数は、毎年ホールケーキが5~6個クリスマス時期のおやつはケーキになったことは言うまでもない・・何故届くのか・・・父の言っていた言葉が頭に浮かんだ。みんな、父と母に何らかの形で助けられ感謝の気持ちで届けてくれるのかな。子供心にそう確信していた。おばあさんとの別れが近づくにつれ、私の心は落ち着かなかった。1日に何度もあの場所に
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秘密の場所 Ⅳ

「奇跡の子」そう呼ばれても私には関係なかった。自分がそうとは思っていないからだ。4歳になったころは、ひらがなが読めるようになりますます、父の書籍に没頭した。漢字は飛び越しても、なんとなく内容がわかるようになってきたが「若きウェルテルの悩み」だけは理解できなかった。保育園も小学校も殆ど行けない私に父は沢山の音楽を聞かせてくれた。母は、絵本の読み聞かせをしてくれる。両親の自営は多忙を極め、事務員さんが日中は面倒を見てくれた。私はお昼寝と言い、あの場所に行くのは毎日の日課になっていった。気を付けなければいけない年 12歳・16歳・20歳何が起こっても、慌てず自分の力を信じなさいと・・何を聞いても微笑むばかりのおばあさん一方的に「自分の力を信じなさい。」とばかり言う。私の内に秘めたるパワーは、己の意思によって最大限引き出せるとも・・おばあさんとのお別れの時が来た。父の自営が順調で、国道沿いに3軒長屋の2軒分の土地を買ったという。父は昔の大工仲間を集め、自分で家を建てた。家の設計図を広げ「ここがお風呂になるんだよ。ここは階段さ。」私は出来上がる家を想像しながら、階段の下から2番目にはおばあさんも来るのかな?とふと思った。あの場所に行き、引っ越しが決まったことを告げるとおばあさんはわかっていたような顔をして頷いた。「いよいよ、お別れだね。」「え?なんで?一緒に行かないの?」「この道は、どこにでもあるわけじゃないんだよ。前に住んでいた家の時月穂はキャベツ畑で私を呼んだ。しかし、私からは動けない。そして、あなた達家族はこの家を選び引っ越してきた。いいえ、私が引き寄せた・・と言った方がいいのかね
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秘密の場所Ⅲ

家にあった本は、父が趣味で集めたもの。絵本じゃなかった。まだ3歳の私には漢字はおろかひらがなも読めないそれでも、本の中の挿絵に魅了されどんな物語なのか描いた本はジュール・ルナールの「にんじん」ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」モンゴメリ「赤毛のアン」 ジークムント・フロイト「夢判断」小さい子が読むには、難しすぎる本ばかりだ。哲学書・心理学書・政治革命・他それでも、むさぼるように本を開き挿絵から想像できる内容を模索した。それと並行して、私は時々あの場所に行った。あの場所は、いつもお天気なのに水たまりがある。水たまりをぴょんと飛び越え、導かれるようにあの家にいつも数㎝ 開いている玄関そこに指をかけ玄関を開ける「こんにちは」いつもニコニコと待っているおばあさん喘息の発作が苦しい事を告げた。おばあさんは頷きながら、「小さいあなたには少し過酷だねぇ。信じなさい。あなたには乗り越える力があることを。自分の運命・使命・壁をもっと耳を研ぎ澄まし自分の信じる道を行きなさい」何のことか理解できなかった、でもおばあさんの目の輝きは忘れていない。そして私は続けて聞いた。「ねえ、おばあさん。ここは他にもだれか住んでいるよね?でも、誰も見ないのは何故?」優しく微笑んだ。「ここは特別な場所、秘密の場所だよ。ある能力を持った子だけがこれる場所。否 自信を開花したものだけがこれる場所。月穂は、自分の能力にまだ気が付いていないんだねぇ。あなたは奇跡の子として、この世に存在している。恐れるな。突き進みなさい。」釈然としなかった。。でも確かに、医師は私を「奇跡の子」と呼ぶあの生まれたとき
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秘密の場所

私は、生まれたときから変だった。4人兄弟の3番目として産声を上げた瞬間医師も両親も言葉を失った。左手の中指が赤黒く腫れあがり、赤ちゃんの指ではなかった。すぐに検査。初期段階の腫瘍と診断されたのは生後2週間。当時の治療がどういったものだったのかは、私は知らない。ただ教えてもらったのは、左腕切断で転移を防ぐだった。でも、私の左腕はついている。紛れもなく私の腕だ。父は、大工の棟梁をしていたが私が生まれたのをきっかけに出来るだけ家にいられるように自営を始めた。ヘビースモーカーだったのに、タバコもやめた。母は、その日から父が吸っていた分のたばこ貯金を始めた。自営を始めてすぐの頃、深夜に私がいない事に気づいた両親は家じゅうを探したが見つからない。近所を探して見つけた場所は、キャベツ畑 当時1歳だった。お気に入りのタオルをもって、キャベツ畑で祈るように座っていたという。勿論、私にはそんな記憶などない。自営をするには小さかった家。両親は、1戸建ての借家を借りた。庭には、大きな松の木とヤツデが植えられていた。私の2歳の誕生日も重なっていて、引っ越しと誕生会が貧困ながらも、温かく開催された。その時の左手中指は大人の親指の3倍ほどに膨れ上がり赤黒く、手は変形し始めていた。ケーキの灯を消し、ケーキを切りたいと駄々をこねる私に母は一緒に手を添えてナイフでケーキを切ってくれた。その瞬間、ケーキはどす黒い血で覆われ私の口からも血が噴き出していた。おむつにも黒い便が同時に出ていたらしい。すぐに病院に運ばれ、入院と検査の日々。結果は、「腫瘍がなくなっている。」詳細はわからない、自分に記憶が無いのだから。。左手が
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