理屈が分からないとできない
理屈が分からないとできないこれは、私が結構、はまり込んでいるものです。スキーを初めて習ったときには、ボーゲンを習いました。そこで曲がることを習いました。ならった当初は何となくやってみればできたのですが、しばらくやってみると怖くなってうまく曲がらなくなりました。ここで、経験によってどうやったら曲がるかを体得できれば良かったのですか、そこは、できませんでした。その後スキーの本を読んで、谷川の足に体重をかけて、エッジを立てると習いました。これは、皆さんがやってきたことの集大成が本に書いてあると思いました。同時に曲がる理屈もわかりました。そこで、エッジを立てる技巧と、その曲がる原理が分かれば、自分で応用が利きます。結果、ほぼどんな急斜面でも降りていける自信がつきました。このように理屈が分かると自分で応用が利くということがあります。しかし、反面、理屈が分からないとできないというマインドができてしまいます。理屈が分かれば、さらに2、3手くらいの応用が利きます。つまり理屈が分かって、かつその技ができれば、確実にできる言うことです。理屈ができて、さらにその理屈の範囲で簡単なことができれば、理屈の範囲でのことはほぼ確実にできるということはおおむね間違いないでしょう。しかし、理屈ができないから、何もできないということは成り立ちません。確かに、理屈はわかった方が良いですが、理屈が分からないということは、間違った先入観になります。もしかしたら、完璧主義が影響しているのかもしれません。1192つく郎と共著です。
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