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アイデアは思いついて、紙に書いて、出してみて慣れれば結構いけるはず

恥ずかしさになれるとかって感じに近いというか。文字通り失敗になれるという感じですね。何をやるというと、・アイデアを思いつく・紙に書く・出してみる(見せる場に置く。人に直接でも、SNSでもなんでも)ということですね。それでなれるしかない。もうそれしかないと。あとは、学習と同じなので、それがある程度出来ていれば少しずつ「ん?これじゃだめだなとか」気付けるようになる。または最適な指導者(本でもいい)とかから習いつつですかね。ここでポイントはいくら指導者がよくても、場数がないとか、やれる環境がないとなかなか厳しいかなと。思いつくまでは多分誰でもできる気がする何も思いつかないとかもあるんですよーって声も聞こえそうですが、多分脳にはちらほら出ているんだけど、紙に言葉にしていないだけ。というところかなと。書くのが面倒なんじゃないかなと。分析とか。なので、そこは麻痺させるしかなくて(笑)スパルタでもなく。「思いつたら書く」これをまずやれるようにしたいですよね。アイデアでなくてもいいので、「これやらないとな」と思った瞬間に書く。それを練習すると。思いつかない!というなら、人の考えでもなんでも良いので真似すればいいかと。最初は真似でいいので。ただやっていると異なったりずれるところがある。それがあなたの考えなのでそこからスタートすればいいだけですね。誰かに伝えてそこで場数を踏む最初から良いアイデアとか、うまくいくアイデアなんて考えるので駄目なんですよ、というのが骨子です。つまり、多くの「思いつたら書いた」アイデアは大体微妙で。僕もそうです。なので、数を出していくと。数の意味は、思考量でもあるし、色々
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漫才は場数がものをいう

テレビよりも舞台での漫才に重きを置くのが和牛のスタイルですが,漫才というのはお客さんの反応も込みで完成されるものなので,場数がものをいいますテレビを優先させ,そっちの波に呑み込まれてしまうと,舞台で漫才をする機会が激減してしまいます。そういう時期が長く続くと,「また漫才を」と思っても,結構大変です。実際,「もう漫才はできない」と感じるようになってしまうコンビもいます一生漫才を続けると二人で決めているのであれば,和牛のお二人のように,「どんなに売れても漫才中心」というスタンスを貫くほうが,自分たちの最大の夢を実現する可能性がグッと上がると思います
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漫才は場数

「漫才は場数」とよく言われます。「漫才がうまくなりたいなら舞台に立つ回数を増やすしかない」というような意味で使われます和牛のお二人はまさにこれを地で行っているような漫才師だと思います。二人とも「できるだけ舞台に立って漫才がしたい」と思っていて,よしもとに所属しているがゆえに立てる舞台も十分にある,こういった要素が相まって,「ものすごい漫才師が育った」というかんじがします。というより,今なお育ち続けているというかんじがします
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