何者にもなれていない感覚 ──それは通過点にいるサイン
◆何者にもなれていないと感じる今も、通過点の上に立っている周りがそれぞれの場所を見つけているように見えて、自分だけが名前のない位置にいる気がする夜がある。肩書きも、はっきりした成果もなくて、どこに向かっているのか説明できない。そんな状態が続くと、存在そのものが曖昧に思えてしまう。けれどその感覚は、止まっているのではなく、境目に立っている合図に近い。◆形が定まらない時期には意味があるまだ言葉にできない状態は、未完成というより、選択肢が開いている状態だ。早く何かになろうとすると、本来の方向とは違う型にはまりやすい。名乗れない時間は、可能性を閉じないための余白でもある。◆通過点は、いつも曖昧に見える後から振り返れば、「あの時期があったから今がある」と思える。けれど通っている最中は、景色がはっきりしない。霧の中を歩いているようで、進んでいる実感が持てないだけだ。◆比べるほど、自分の輪郭はぼやける誰かの完成形と自分の途中を比べると、どうしても足りない部分ばかりが目に入る。でも人生は、同じ地点で並んで進むものじゃない。それぞれ違う場所で、違う速度で、違う形に整っていく。◆名付けられない時間も、前進している肩書きがなくても、説明できなくてもいい。今日感じたこと、小さく変わった価値観、それらは確かに積み重なっている。見えないだけで、内側では輪郭が少しずつ形を持ち始めている。◆今日は、途中であることを許していい何者かになろうと急がなくていい。答えを出さなくていい。何者にもなれていない感覚は、何者にもなれる位置にいるということでもある。今はまだ通過点でいい。この曖昧さも、ちゃんと道の上にある。ht
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