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#16:あなたの『心の向き』は? ~プライドと自我の違い~

たけやんです。  自分の成長のため & 情報のアウトプットを目的に、ブログをはじめました。まったり更新する予定です。 これを読んでくれた方に、少しでもプラスとなる事があれば幸いです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今回は、心理学に関するお話で「プライド」と「自我」の違いをお話し致します。多くの人が「プライド」という言葉に馴染み深く、よく使われていると思います。主に人間関係において、「プライドを傷つけられた!悔しい!」とか、「自分にだってプライドはあるから、そこは絶対に譲れない!」といった風な使い方をされた経験はありませんか?(かく言う私もそうです^^;)この場合の「プライド」が意味するものは、 ・自分の人格(自分なりに考える、人としてのあり方) ・自分の自信(これだけは負けない!という知識や能力)など、主に『プライド = 自尊心や誇り』という認識ではないでしょうか。ですがこれ・・・正確に言うと「自我」になります。その違いについて説明しますね。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【自我 = 利己的な考え方】 自我とは、オーストリアの心理学者であるジークムント・フロイト(1856/5/6~1939/9/23)によって提唱された「人間の心の構造」を説明する概念の一部です。詳細は割愛しますが、ざっくり説明すると『自分本位、自分第一』であり、 ”利己的な考え方” と言えば分かりやすいでしょうか。(例:自分だけが親を独占したい。人にチヤホヤされたい、得したい。   とにかく自分だけを優遇して、愛して欲しい・・・といっ
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人のために、自分を忘れない

利他・利己という言葉に、 私は振り回された経験がある 利他は良いもの 利己は悪いもの 利他は人のためを想うこと 利己は自分中心に考えること そんなふうに受け取っていた どんな宗教でも、 躾や道徳でも、 基本的には他者を思いやろうと教わる それ自体は、私も大切なことだと思う でも、私は長く苦しんだ なぜなら、 つい片方の視点だけで見てしまい、 ゼロヒャクで物事を考えてしまうからだ たとえば、 友人と二人で出かけて遭難したとする 二人の荷物の中で、 食糧はクッキー1枚しかない その時、 このクッキー1枚を友人に全部あげることもできる でも普通は、 友人と自分で半分こにするだろう それでいいはずなのだ でもなぜか、 有事ではない時には、 友人にクッキーを丸々1枚あげようとしてしまう 自分の分を残すことが、悪いことのように感じてしまう 本当は、 有事であろうがなかろうが、 「利他の中に自分を含める」 たったそれだけで良いはずなのだ でも、それを そのように教えてくれる人は多くない 良い言葉や良い教えも 伝えることの難しさは 古今東西変わらないものだと思う だから、自らが どのように解釈するかが 自らの幸せを左右するのだと思う
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#24:”心の向き” を考えて、良い人格を手に入れよう

たけやんです。 自分の成長のため &情報のアウトプットを目的に、ブログをはじめました。まったり更新する予定です。 これを読んでくれた方に、少しでもプラスとなる事があれば幸いです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今回はおすすめ本の紹介です。 お話の内容としては、『瞑想やマインドフルネス』に関する事として取り上げようと考えていたのですが、この本に書いてある事は瞑想も含めて、とても素晴らしい内容だったので、”心の向き” についてご紹介したいと思います。◆心を静める[著:藤平信一]こちらの内容は、ざっくり言うと『マインドフルネス的な呼吸法』と『心のあり方』を伝授してくれる一冊であります。 著者の藤平信一さんは合気道の世界では有名な方で、この本の他にも ”氣” に関する指南書や参考書など、人を健康に、そして成功に導くための素晴らしい著作を数多く生み出しています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【心の向きとは?】 私がこの本から強く共感を得たのは ”心の向き” という考え方です。簡単に言うと、自分の心が「内側(自分)に向いているか?」または「外側(相手)に向いているか?」の2つの違いだけなのですが・・・これはちょっとした違いに見えて、実は雲泥の差がある考え方なのです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~◎あなたの周りにも、「利己他責」な人はいませんか? 職場や学校での生活において、人付き合いは避けられません。「親ガチャ」なんて言葉が流行ったりもしましたが、人生でお付き合いする人も
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いつかきっと・・と思ってません?

「陰徳を積む」という仏教の言葉が、私は好きだ。 善人でいようとすること。 損な役割を引き受けること。 本当は嫌だなと思うことを飲み込むこと。 きっと、いつか自分に返ってくる。 情けは人の為ならず、というじゃないか。 で、いつ? 死んでから? 今、ここに立って生きているのは私なのに。 一体、いつの私に向かって、 私は苦しいことを我慢しているのだろう。自分より他人を優先するのが利他?他人より自分を優先するのが利己? 利他って、自己犠牲とどう違うのだろう? そのとき気づいた。 苦行は美徳だと信じることで、 私は私をいじめていたんだ、と。 利他の中に、 「いまの私」は入っていなかった。 人を押しのけてまで自分の幸せを優先する必要はない。 でも、 あの人も幸せになってほしいなと 陰ながら願う。 陰徳って、 それでいいんじゃない? いつかきっと、ではなく、 いまの私を置き去りにしない生き方を、 私は選ぶ。
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「利己」の先に「利他」がある

今回は、「利己」の先に「利他」があるというテーマで話を進めていきます。私が以前から疑問に思っていたのは、利己はダメで利他が良いという考えが一般的にあることです。しかし、私はそれが時系列の観点から見れば異なると感じています。まずは利己から始まり、それが利他につながり、最終的には自分に戻ってくるという流れだろうと考えていました。この考えを深めたのは、「幸せになる勇気」という本を読んだ時に紹介されていたアダム・スミスの考えに触れたからです。アダム・スミスは分業の概念を提唱し、自由主義経済を唱えた人物です。彼の考え方の根本にあるのは、利己心を追求することで経済秩序が生まれるというものです。たとえば、弓矢を作るのが上手な人と狩猟が得意な人が協力することで、お互いの得意を生かし合い、互いに利益を分け合うことができます。このような分業の考え方は、お互いが得意なことに専念することで、経済秩序が生まれるという考えに基づいています。そして、重要なのは、このプロセスで誰もが自分を犠牲にしていないということです。つまり、利己心を追求することが、最終的には他者との信用に基づく利害関係を結び、経済秩序を生み出し、他者への貢献につながるという流れになります。この考え方は、アドラー心理学にも通じるものがあり、「幸せになる勇気」の中では、職業に優劣はなく、どのような態度で取り組むかが重要だと述べられています。つまり、何をするかよりも、どのようなスタンスで取り組むかが、フロー体験や幸福度の向上につながるというわけです。結局、利己心、つまり自分がやりたいこと、得意なことを追求することが、他者との関係を築き、経済秩序
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