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「自分が大変」ではなく、子供の気持ちに寄り添うこと

息子が不登校になりたての時、今振り返れば 「母親である自分が大変」でした。    本当なら、子供の気持ちに寄り添うことがまずは第一だったと今更ながら感じます。   まさか 自分の息子が不登校になった? でもまだ 不登校ではない?  学年が変われば、大丈夫だろう。 小5の間だけだろうと思っていました。   息子は、保健室登校をしたり、休んだりしながら小5の後半は過ごしていました。 あの時の私はちゃんと息子の気持ちに向き合っていたのか? 恐らく、その時の私は 保健室登校できたら良かった。出来なかったら駄目だったとそれだけだったのではないかと思います。  息子がどんな気持ちで保健室登校しているのか?とか、 いじめが発覚後、クラスに入れなくなった気持ちを理解しようとしていなかったということ、 というよりそのような気持ちの余裕が持てなかったのかもしれません。そして、 毎日のように厳しい部活をこなしている娘の気持ちに寄り添おうとしていなかったということも。。 なんで中学生の部活がこんなにハードなのか。 練習試合の為、毎週のように電車で遠征をしていた娘の部活。 交通費もかかるし、弁当の準備ある。こんな部活 毎日やりすぎでしょうと。。。 全て自分の気持ちのままに子供に接していたのです。 言葉を変えると、子供に依存をしているということです。 子供が学校へ行けば安心して、子供の部活も、親にとって程よい程度であれば満足する。 子供に依存するのではなく、子供の気持ちを分かって受け入れることが大切でした。 子供の気持ちを100パーセント理解できなくても、理解しようと努力する。
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保健室登校の期間は・・・

息子も保健室登校がすぐに出来るようになったわけではありませんでした。保健室登校というのも、実は勇気がいるものだと思います。保健室登校をまだしていないときは、登校の準備をして玄関で靴を履いて後 固まることがよくありました。私としては、ここまで準備もできたのだから、玄関の外に飛び出してしまえばなんとかなると思ってましたが、その一歩がなかなか難しく、そのまま玄関から出られずということを何度繰り返していました。その後、保健室登校をするようになってからは、何とか行けるようになってきましたが、朝はやはり私が保健室まで送って行っていました。でも、保健室登校が出来る子は、まだ登校に意欲のある子だと思います。保健室登校さえできていたら、とりあえずは大丈夫だと思いながら、藁をもつかむ思いで保健室登校をさせていたのを今でもよく覚えています。保健室には時折 友達がのぞきに来たり、仲の良い子が保健室に給食を運んでくれたりして、クラスの子と交流はあったようです。その時の息子の気持ちは、気まずいという感情ではなく、嬉しい気持ちが強かったようです。保健室の先生の仕事の手伝いもたまにしたようでした。穏やかに見えた保健室登校でしたが、これも出来る日と出来ない日がありました。保健室登校出来ない日は家にいて、テレビをみたりして過ごしていたようです。当時はインターネットは子供一人の時は、させていませんでした。ですので、息子がうちに一人でいるときは、退屈で寂しかったのか仕事中の私に何度も電話がありました。私も仕事も手につかず いつも気になって、何度も息子へ電話をしたりしてました。この頃は 本当に親も子も 辛い時間だったと
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小5の後半はずっと家、 たまに保健室登校~

私が息子の登校を諦めて、息子が家にいる生活が始まりました。 給食を食べなくなるので、お昼ご飯はどうしようと考えるように なりました。 私はフルタイムで仕事があるため、帰りは19時半頃になります。 息子はうちで一人で、何を思って過ごしていたのでしょう。 学校に行かなくなって、ほっとして穏やかに過ごせてたでしょうか? 不登校の子 全般に言えることと思いますが、登校できずに、うちにいる間は 「不安・焦り・怒り・悲しみ」などが混在している時間で、 何もできずに悶々として、辛いのでしょう。 何かしたいけど、その気力がない。 学校へはもちろん戻りたいけど、戻りたくない。 エネルギーが切れた状態だけど、家にいると元気になっているようにも見えました。 うちは幸い 引きこもる部屋もなくオープンな間取りになっているので 自分の部屋から出てこないというような状態にはなりませんでした。 ある日 息子の幼馴染のママ友が保健室登校をしてはどうかと言って来ました。 私は、早速 学校に交渉をして保健室登校をさせてもらうことにした。 先に保健室登校をしていたのは、 息子より年下の男の子が一人だけでした。 保健室のY先生は、担任の先生とは違い 優しさ溢れるタイプの方でした。 Y先生は息子の様子をノートに詳細に書いてくれました。 保健室で息子が何をして過ごしたのかよく分かりました。 息子が保健室登校をしている間、担任の先生は、ほとんど保健室へ顔を出さなかったようです。 私としても 担任とはあまり顔を合わせてほしくなかったので、ちょうど良かったのですが。。 たまに時間の空いた
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中学生の頃の校長室登校

『保健室登校』ではなく『校長室登校』聞いたことありますか。私は中学生の頃一時的にいじめの標的になっていました。家庭にも居場所がなく、学校に行けば聞こえる声で悪口を言われたり、傘を壊されたり。だけど学校を一度でも休んでしまうと、もう二度と登校できなくなってしまうのではないかと必死でした。担任は「虐められる原因を考えてみろ」とだけ。でも聞こえてくる悪口によると原因は‘貧乏だから’というなんとも理不尽なものでした。やがて保健室登校になり、保健室にいてもいじめっ子が誰もいない時に数人で詰め寄ってくるので美術室に逃げ込みました。私は美術部でした。備品倉庫は小さな隔離部屋になっていて、どのクラスも授業で美術室を使わない時間はそこで座って過ごしていました。とある日、美術室に一人でいると校長先生が入ってきました。私の名前を知っていました。「もねさん、今日はここにいたんだね」と、授業に出ていない事を責めることなく優しい口調で声をかけてくれました。当時私は完全に人間不信になっていて声も出ません。すると校長先生は「明日から、校長室にもしよかったら来てください」と。翌日、保健室にいると校長先生が来ました。そして私にこう言いました。「もねさん、校長先生と手紙や絵の交換をしませんか」と。そして便せん二枚の手紙を置いて保健室を出ていきました。その手紙には、私が一人で過ごしていることを見てとても心配している事や、私が美術室で遅くまで油絵を描いている事について、そして辛いときには一人ではないといった内容が書かれていたと思います。校長先生は、私の状況をすでに知っていたのです。家に帰っても辛いことを話せる相手もおら
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