高倉健という生き方
高校2年から3年の頃にかけて、鶴田浩二の歌う「傷だらけの人生」が大ヒットしました。「古いやつだとお思いでしょうが、、、」という台詞から始まるアレです。高度成長が一段落し、退廃ムード漂う昭和40年代半ば、「古い人間」が「今の世の中」を憂うこの詩は、作詞家藤田まさとが鶴田浩二をイメージして書き下ろし、シベリア抑留を経験した吉田正が曲をつけたものです。 戦中派のこの3人は、当時の日本の風潮に対して、言いたいことを言い尽くした、とさえ語っております。鶴田浩二はその頃、特攻隊の生き残りと称されておりました。(のちにそれは間違いであることが判明したのですが。) 「傷だらけの人生」はすぐに映画化され、私は見に行きました。そしてこの映画にゲスト出演していたのが、東映の任侠映画のトップスターとして君臨していた高倉健でした、これが俳優高倉健との最初の出会いとなったのです。 しびれました。着流し姿でスッとたつ美しさ。腹の中までしみいるあの声。じっと耐えるかのような孤独感。のちにビデオが普及すると、「昭和残俠伝」「日本侠客伝」シリーズがテレビで放映されれば必ず録画をし、レンタル店が出始めた頃には借りまくるようになったのでした。 高倉健さんがこの世界に入ったのは偶然で、最初は食べるためにやっていたようです。それでも何か、人の目に留まるものがあったのでしょうね。すぐに主役に抜擢されるようになりました。しばらくして主役を張った「日本侠客伝」「昭和残俠伝」が大ヒットし、シリーズ化され、推しも押されもしないスターとして、日本映画界を背負うようになりました。 ある日健さんは、自分の出演する映画をそっと
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