過去(トラウマ)との対峙の仕方 その6「心の臓」
2日目 朝起床。洗顔、掃除、朝食。午前中の一柱目昨日、散々、両親を切り刻んだので、いい加減、飽きてきた。過去のトラウマを、また、再生し始める。泣き止まないといって、逆上して、大きな声でわめき、手加減してるとはいえ、5歳の男の子をひっぱたく、30代の大の男。私が成長してから、「しつけ」だったと説明されたが、記憶の中の男は、どう見てもキチガイじみていた。もちろん、「悲しく」「つらい」のだが、何度も、何度も見てると慣れるし、やはり、飽きてくる。そして、あまり、何も感じなくなってくる。「ああ、また、泣かされてる。」記憶の中の泣いている5歳の自分は、自分なのだが、それを眺めている今の冷静な自分がいる。両親を切り刻む時の自分は、今の年齢の自分だが、やはりそれを眺めている冷静な自分が、また別にいる。はて、よく考えると、二人の自分が、心の中にいる…。セミが鳴いている。アブも飛んでいる。アブは鋭角に直線的に飛ぶが、ホバリングして、空中で静止できたりもする。私に刺さないか、要注意だ。刺されれば、さすがに、座禅どころの話ではない。夏の風が、畳越しに吹いてくる。外は暑いだろうが、寺の本堂はヒンヤリして涼しい。トラウマの再生や復讐の血の海から、一瞬、気が散った私は、ある事に気づいた。「結構、心臓って、動いてるんだな…。」「心臓」は、もちろん、自分の意思でコントロールできない。「死ぬ」その瞬間迄、勝手に動いてくれる。左の胸が、大きく波打っている。聴診器や手をあてれば、鼓動が聞こえたり、動きを感じたりはできる。ただ、座禅をして、背筋を伸ばし、静かにして脱力していると、心臓が脈打つたびに、左側の上半身が結構、
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