待つということ
「明確な正解がないと漠然とした不安を抱えてしまう」というお話を伺いました。不安は精神医学的には「対象のない恐れの感情」をいいます。「将来が不安・・・」とか「どうなるかわからなくて不安・・・」とか。曖昧な状態というのは明確な正解がわからないから、心がさまよい揺れ動くのかもしれませんね。
以前のブログ「マスターセラピスト」で、熟達したセラピストは曖昧さ、複雑さなどを求め、臨床的判断の自動化を拒み、観察力を磨き、状況に深くコミットし、自身の判断について謙虚さを持ちながら、知的な挑戦をし続ける人のことを指すとお話ししたことがあります。人の心はとかく複雑なので、その複雑さを曖昧なままで持ち越していくのですね。
セラピストはまた「待つこと」を求められることも多いものです。人はすぐには変わらないことが多く、重篤なケースであればあるほど、薄皮をピンセットで一枚ずつ剥いでいくようにしか変わらない人の心を、丁寧に薄皮を持ち上げては、変容のお手伝いをしていくのです。それは気の遠くなるような作業なのですが、さまざまな偶然の想定外の働きに期待しながら、いつかは変容すると信じて待ち続けるのです。
一方で、最近は「待つこと」ができない人が増えてきていると感じることがあります。私たちはすぐに答えを欲しがります。そのほうが早くすっきりするからです。だって、「待つこと」はじっとしていること、今を封鎖すること、空白の時間を埋めること、いろいろな想像をしてしまうこと、辛抱をすること、息を止めてくぐり抜けること、答えの保証がないこと、心が揺れること、終わりがわからないこと、何もできないこと、明確な正解がないことだから、
0