宇宙に手を突っ込まないと楽しみは見つけられない?
こんにちは皆様。大雑把に運が良いと思っている。子供の頃から好きな事しかしてこなかった。若しかしたら馬鹿だから覚えてないだけかもしれないが、嫌な事が一杯あったはずなのに、それを面白がっている私がいる。自分の馬鹿さ加減で覚えて無くても、覚えなくて良い事を覚えてこなかった事は自分の才能だと思っている。たぶん。私の記憶は、風に舞っている雪を家で見ているみたいな感じで、冷気やその強さは見えていても感じられない。お日様が出ると、雪も風も少し和らぐように、年を経ると悪い記憶も違う季節へと移行して、厳しさを忘れさせる。人生を俯瞰して見てみると、自分でが正しかったか?とか自分が真面目に生きていたか?なんて如何でもいいものが大事だと思ってしまう。それは、他人からどう思われるか?一般的な基準でどうか?よりは大切かも知れない。だけどどれだけ自分を大切にしてたか?よりは大事だと思えない。4歳や5歳では人生を俯瞰することは出来ない。その頃はまだ俯瞰するほどの広さの地図を人間は持っていない。年を重ねると、この地方だけの地図だと思っていたのが、宇宙まで広がっているのに驚いたりする。広がったからと言って心が広がっているかと言えばそうでは無い。心の想いは4歳、5歳の方が大きい事もあるかもしれない。南方熊楠が「心に不思議あり」でこう書いている。宇宙万有は無尽なりただし人すでにこころあり心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとすこれを見た時。今はやりの異世界転生か?突っ込みを入れていた。俯瞰できても、分かるようになっても、無限の宇宙に手を突っ込まなければ、楽しみは無いのかな
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