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「半分兄弟」

【内職】 6歳の時3歳の弟が 俺と色々勝負をしてきて 力や経験値や頭の良さで 俺がいつも勝っていた。 (´∀`*)ウフフッ そんなある日 母親が5㎝位の小さなぬいぐるみに わたを詰める内職を持ってきて 午後の昼下がりにやってた。 それを見た俺は 何だか面白そうにみえてしまい 母親にわがまま言って 手伝わせてもらう事にした。 わたを入れるぬいぐるみのは 裏返って縫い目が見える状態で そこにわたを置いて裏返すと わた入りのぬいぐるみになる。 この作業を手伝ってたら 弟が来て俺が何かしてるから 「僕もやる!」といいだし 俺と同じ作業を始めた。 (# ゚Д゚)フンガフンガ この頃の弟は 俺が何かしてるといつも真似して いつも上手くいかず失敗してしまい 母親に泣きついてた。 しかしこの内職作業は 弟もうまくこなす事が出来たのか 俺に負けまいと必死にやり始め 物凄く雑な物を作ってた。 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【泣きべそ】 作業中ふと弟が作った物を見たら 凄く下手くそな物を作ってしまい 母親が全部やり直す羽目になり 完全に二度手間になってる。 そこで母親が 弟にまた正しい作り方を教えると 弟の作業スピードが落ちてしまい おれより全然数ができない。 そこの事に弟がイラ立ってきたのか だんだん正しい作り方をしなくなり スピード重視の雑な作りをして また母親が全部やり直してた。 仕方ないので俺は わざと作業スピードを落とし 弟より出来上がる数を少なくし のんびりやる事にする。 ε-(・д・`;)フゥ… しばらくすると 俺が完成させたぬいぐるみの山が 弟より低くなってて それを見
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「半分兄貴」

【弟】 6歳の時 弟がやっと3歳になって 少し俺と遊べるようになり 色々な事で競争して遊んだ。 当時してた遊びは 超合金ロボットで戦争ごっこしたり ブロックで飛行機を作って 即興で思いついた遊びをしてた。 特に楽しかったのは 父親が2体買ってきてくれた ジャンボマシンだーと言う 50㎝位のロボットで遊ぶ事だった。 ジャンボマシンダーは 1つ目が「勇者ラーディーン」 2つ目が「グレンダイザー」 この2体のおもちゃ。 °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖° 我々兄弟は この2体のどちらかを選んび 戦争ごっこをして地球の平和を守り 毎日遊んでた。 (´∀`*)ウフフッ ジャンボマシンダーには ボタンを押すと手を飛ばす事が出来 少し離れた場所から互いに飛ばして 相手のロボットに当ててた。 しかし狙いが外れる時もあって 互いの体や顔に当たり そうなるとすぐ弟が泣きだし 母親に文句を言いにいく。 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【レバー】 母親の所に弟が行くと 毎回抱っこされて慰められ それを遠くで見ていた俺は 抱っこされる事がうらやましい。 夕食の時も俺は 1人で座らせられてるのに対し 弟が父親の膝の上で食事をしてて その事がとてもうらやましい。 (´・д・`)ショボーン ある時父親が飲んでるビールが とても美味しそうに見えてしまい 一口もらって飲んでみたら とてつもなく苦くて飲めない! その俺の姿を見た弟は 今まで何でも負けてたせいか これなら勝てると思ったのか 弟もビール飲みにチャレンジした。 すると明らかに 苦くて飲めない顔をしたが やせ我慢してビールを飲み 俺よりたくさん飲んで見せ
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【 ほぼ毎日 #70】ありがとう。

こんばんは、ひかりです |˙꒳​˙)朝起きて、カーテンを開けたらやさしい空の色が心を癒してくれました。雲ひとつないパステルブルーの空でした。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧今日は、家族について少し綴らせてください。時の流れは本当に早いですね、、兄が亡くなってちょうど5年が経ちました。生真面目で物静かな兄は私の面倒をよくみてくれました。小さい頃は、毎日のように手をつないで駄菓子屋さんに連れて行ってもくれました。***高校卒業と同時に兄は上京しました。年末とお盆休みは毎年、実家に帰ってきてみんなで食卓を囲みました。娘や、姪っ子が生まれると賑やかな笑顔も笑い声も外まで響き渡るようでした♪***その一方で、、兄はミトコンドリア病という遺伝子の病気(難病)と脳腫瘍を患っていることが判明しました…。完治はなく、症状はどんどん重くなるだろうと淡々と話してくれました。帰ってくることを勧めましたがやんわり拒否されました。実家を出ると決めたとき、覚悟したんだと話してました…。病気が発症して亡くなるまで約10年間私は兄の弱音を一度も聞いたことがありません。それどころか私の結婚生活や育児話の話し相手までしてくれました。お世話になるのは、いつも私で結局、何もお返しできませんでした。***ねぇ。天国って、どんなところ?母さんとは、いつも一緒にいるの?こっちは、相変わらずあれこれ忙しいよ。心配ばかりかけて、ごめん…苦笑。いつも私たちのこと見守ってくれて、ありがとね!そして、これからもよろしくお願いします。図々しくて、ごめんなさい (¯∇¯٥)では、今日はこの辺で!お気に入り登録、フォローしていた
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初めての嘘

あれは初冬の日曜日だった。 谷中から上野動物公園へ向かう私は父の右手に、 下の兄は父の左手に、ぶら下がるようにして歩いていた。 下の兄は父親っ子、みんなから、そう、言われていたし、 本人も父に一番可愛がられているのは自分だと思っていたようだった。 でも、私だって、お父さん大好き、 だから父が家にいる時はいつだって父の膝の上を占領していた。 父が新聞を読む時も。リンゴの皮を剥く時にも。 少し太り気味の父の膝の上は、暖かくて、ふわふわしていて 心地よい。 だから何時だって父が家にいる時は父の膝の上に座っていた。 私は4歳。下の兄は7歳。 大好きなお父さんと出かけるのだもの、 嬉しくって仕方がない。 動物園は、谷中に引っ越してきてから、 毎日のように遊びにいっているから、 別に珍しくはないのだけれど、 父の腕にぶら下がるようにして 歩くのは、とても楽しい。 父は、歩きながら、いろいろなお話をしてくれる。 木の名前を教えてくれたり、 建物のいわれを教えてくれたり、 道路を横切る時は、 「右を見てから左を見よ。」だとか。 時々は、軽くスキップのようなことをしたり。 とにかく、4歳の私は楽しくて仕方がない。 突然、下の兄が父に聞いた。 「お父さん、やーちゃんと僕とどっちが好き?」 私は驚いてしまった。 (そんなことを聞くなんて、ひどい。) (父が答えられるはずはないじゃない?) (両方好きに決まっているのに。) すると、父は、 「どっちが好きか、  今から、好きな子の手をぎゅっ!と握るからね。」 その言葉を聞いて、 下の兄は少し緊張したようだった。 私はきっと、父は二人の手を同じように強く
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思い出「半分兄貴」

【俺の弟】6歳の時弟がやっと3歳になって少し俺と遊べるようになった。ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪弟は「よしあき」と言う名前だったので俺は「ヨッチ」と言うあだ名をつけた。遊んでいた内容はロボットの超合金で戦争ごっごとかブロックを使って飛行機を作ったりその場の即興で作った遊びをしてた。この頃父親が買ってきてくれた「ジャンボマシンダー」という50㎝位の大きなロボットおもちゃがあった。このおもちゃは2つ買って来てくれていた。°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°種類は「勇者ライディーン」「UFOロボ・グレンダイザー」我々兄弟はこの2体のスパーロボットを毎日交互に使用して地球の平和のために戦っていた。〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【うらやましい】このロボットは腕にバネが入っていてボタンを押すと飛び出した。我々兄弟はこのパンチ攻撃を互いのロボットに向けてピョンピョン飛ばし攻撃して遊んだ。でもたまに俺は狙いが外れてヨッチの顔に当ててしまう。(>_<)イタイそうするとヨッチはすぐに泣いて母親に言いつけに行った。そうするといつも母親がヨッチを抱っこしてあげてそれがうらやましくて仕方なかった。この当時俺は幼稚園の年長でまだまだ母親に甘えたかったから弟に嫉妬していた。こういう事があると俺はすぐにふてくされて1人で砂場に遊びに行ってしまった。ドッカイコウ(* ̄- ̄)〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓【父親の膝の上】そして暗くなったら家に帰り食事の時間までアニメを見ていた。そうしていると父親が仕事から帰ってきて一緒にお風呂に入り食事を食べる。ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"(๑´ㅂ`๑)ŧ
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