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障害という名の免罪符

 時折、稀にですが、障害を免罪符にして周囲を自分の都合の良いように操作する人がいます。 事例で言えば、私が実際に対応した相談者の方で「場面緘黙」「社交不安障害」の人がみえました。   場面緘黙なので、当然話をすることがありません。通訳者(?)としてその相談者の親が同席していましたが、首を縦に振ったり、横に振ったり、傾げたりして、一応の意思表示はかろうじてしますが、筆談もスマホのメモに入力して意思表示をすることもしないで、意思疎通にはこちらが骨を折ります。  本人が答えやすいように「イエス」「ノー」で反応できるような言葉にして質問したり、視覚で分かるような物を出して説明したり・・・、と、兎に角支援者側が本人の意思表示がしやすいように工夫をして、意思の疎通を図ります。   支援者は支援をするのですから、上記のような工夫は当たり前と言えば、そうなのですが、本当に「何とかしたい」「良くなりたい」「治りたい」という意思のある人は、しゃべることができなくても、どうにかして何らかの手段で自分の思いを伝えようとしてきます。   しかし、私が対応した「場面緘黙」「社交不安障害」の相談者は、一切自分から自分の意思を伝えようとすることをしません。病院へ通院したり、その病院に併設されているカウンセリングを利用しても「変わらないから」と言って、中断してしまいました。   そして、今の現状をどうにかしたいということで、私のもとに来ましたが、結局のところ、この方は「変わりたい」のではなく、「変わりたくない」ことを決心しているのではないかと思うのです。 「場面緘黙」という症状を免罪符にして、「僕は場面緘黙だか
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場面緘黙(ばめんかんもく)

場面緘黙子供に多く見られる精神的な障害特定の社交的な場面で話すことができなくなる症状学校や公の場など他人と関わる場面で現れ普段は普通に話すことができる状態から変わることが特徴主に社交不安障害の一部とされ緊張や恐怖感が原因本人側の要因 「不安になりやすい」「緊張を感じやすい」という気質があるそこに社会不安や分離不安のような不安症が加わる人も多い環境側の要因急激な環境の変化(転校やクラス替え、引っ越し、職場の部署異動など) 恐怖、失敗、つらい経験(いじめ、病気、ケガなど)子供の場合学校のトイレに一度も行けない 話し方や動作が遅く過保護で育ったと誤解される 授業中に意見を求められても発言できない 体育が苦手で評価してもらえない 挨拶ができないため無視していると思われる わからないことがあっても質問できない 発表会や卒業式で声を出せない 出席をとる時に声をだしたり挙手したりできない 配布されるプリントが足りなくても言えない大人の場合不明な点を聞かなければいけない時に話しかけられないのどが圧迫される感じになり声が出せない 相手の指示にすぐ反応できない 分からないこと・困っていることがあっても言えない 挨拶や雑談ができない 視線が気になってストレスになる プレゼンのような話さなければいけない時がつらい対処するには自分の考え方や行動のクセや特徴を把握しどのようにすれば症状を和らげられるか整理していくことでストレスを軽減させていく人見知りや恥ずかしがりとの違いはそこで話せない症状が何か月何年と長く続くことリラックスできる場面でも話せないことが続くこと特定の場面で話せなくなるのはつらい生きづらく
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本音にたどりつくことの大切さ

私には4歳 年中さんの甥っ子(Aくん)がいます。私の妹(Aくんにとってはお母さん)が「お姉ちゃん」と呼ぶので、甥っ子も「おねえちゃん」と呼んでくれます 笑大の仲良しで、保育園から帰ると一目散に会いに来てくれます。おばあちゃん(私の母)の家はAくんの家から徒歩20秒。「おばあちゃんの家がこんなに近い子はひまわり組にはいないよね」「こんなにやさしいおねえちゃんがいる子はひまわり組にはいないと思うな」が口癖。Aくんは場面緘黙気味です。家族の中ではおしゃべりが止まらないし、踊って歌って元気いっぱい。でも一歩外へ出ると、話し言葉が急に減ります。動作もゆっくりに。年少の頃は友達ができるまでにとても時間がかかり、一人でパズルで遊んだり絵本を読んだりしていたようです。でも年度の後半ごろ声をかけてくれたのが同じクラスの女の子Bちゃん。明るく社交的でお友達も多い。BちゃんはAくんにいつも声をかけてくれて、一緒に遊ぶことができるようになりました。Bちゃんが隣にいると、運動会のダンスもできる、7匹の子ヤギの劇にも参加できる!きっと先生方はその様子を見て、クラス替えを考えてくれたのでしょう。年中になってもBちゃんと同じクラスで、楽しく過ごすことができています。保育園への行き渋りはありませんが、Bちゃんがいても毎朝クラスに入るシューズに履き替える時が、Aくんのスイッチオンの時。家族といる時と、保育園にいる時のラインがそこにあります。保育園でどんな顔をして過ごしているのか、それはお母さんにも私にもわかりません。先生からの少しのお話が参考になっています。そんな甥っ子のある数日の物語。ある日Aくんは保育園のみん
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場面緘黙(かんもく)とは

5月は「場面緘(かんもく)黙症啓発月間」です。なじみのない言葉かもしれません。この病気の定義は「他の状況で話しているにもかかわらず、特定の社会的状況において、話すことが一貫してできない」とされています。つまり「自宅など自分が安心できる場面では話せるけれど保育園や小学校などでは話すことができない」ということです。上に書いたような状況が一ヶ月以上続く場合、と定義されています。つまり、入学などで一時的に喋れない、というような場合は除きます。あなたの周りで、このような子どもさんはいませんか?中には、この病気を抱えたまま成人してしまっている人もいます。もし、このような人が周囲にいたら、しゃべることを強要せず、筆談などの手段でコミュニケーションをとってくださいね。なぜ、唐突にこのような話をしているかと言いますと私も、子どもの頃はこれで悩んでいたからです。当時は、今以上にこの病気は知られていなかったので診断とかは受けていないのですけれど。今は、そんな過去があったなんて信じてもらえないほど喋りますけどね。リンクは貼れないのですが、NHKのサイトなどにわかりやすく掲載されていますので検索していただけると嬉しいです。▶NHK  場面緘黙(かんもく)について知っておきたいこと▶非営利団体 かんもくネットご自分のお子さんについて、「もしかして」と思われた方、実際に診断を受けたけど悩んでいる、という方お話、お伺いします。医師ではないので診断もできませんし、自分の体験に基づいたお話しかできませんのでその点はご了承ください。男性との雑談的なチャットのやりとりが苦手なので、「女性限定」としていますが、お悩み等
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内向型の原因は「HSP」だからではない⁉【家庭環境の影響】【場面緘黙・アダルトチルドレンについて】

こんにちは。 HSPおじさんのながいみつるです。 私は、幼少期から中学生まで、人前で話すことや自己主張することが出来ない「内向型」の性格で悩んでいました。 本日は、その経験をもとに、私がどのような理由で「内向型」になりどのようにして「内向型」を克服したのかについてブログを書いていこうと思います。【私が内向型になった原因と考察】内向型になるかならないかは、生まれついて共感性があるか(HSP)には関係なく、どんな気質の人でも共通して、家庭環境での親の接し方に原因があると考えます。 私が、いわゆる内向型と呼ばれる性質になった理由は、両親が厳しく親が子供のすべてを決めるという家庭環境が原因でした。 特に私が生まれた40年以上前の昭和の時代は、 実家を長男が継ぐという意識が強く、「長男の嫁」であった母にとって、跡取りで最初の子であった私の子育ては、相当なプレッシャーだったのだと思います。当時は学歴社会、受験戦争などの名残が強く、スパルタ教育、塾や習い事など親が子供に「期待」を過度に背負わせていた時代。 そんな中、私の母親も例外なく教育ママとなり、特に私に対しての接し方はヒステリックで、現在では虐待と言われるような暴力や人格否定などの罵詈雑言を受けて育ちました。 その為、私はそんな家庭環境の中、親に意見を言えば否定され叱られたため、幼少期から「自分から意見が言えない子供」に育っていったのです。 もちろん、親から意見を求められることはありましたが、 基本は「母の中に答え」があるので、それにそぐわない意見をしてしまうと「違う」と否定され、何度も正解が出るまで問答の繰り返し。 頑張って、母の期待
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自己紹介と略歴

こんにちは。わたしの自己紹介と略歴についてお話します。わたしは、幼少期、特に母親からの虐待経験があり、いわゆる機能不全家族の育ちです。わたしの意思は尊重されず、受け入れてもらえないというのが当たり前の状態で育ちましたので、社会に出ると、自分に自信が持てない、周囲の目を極度に気にするといったことがわたし自身の行動力を妨げていたように思います。また幼少期、最近メディアが取り上げていましたが、場面緘黙(わたしの場合は家族以外の人と話せない、家族であってもその中に外部の人が一人でも入ると話せない)があり、そんな周りと違う自分を見た母から「友達と遊べ、喋れ」と言われ続けていました。中学になると大学受験を見据えて教育虐待が始まりました。普通なら子供の意見が尊重されて「〇〇のようになりたいので〇〇大学に行きたい」などという流れになると思うのですが、わたしの家庭では違うのでした。わたしの家庭では「何でもいいから有名大学へ」と言われていたので、私はただただ空回りするだけでした。高校での成績はどんどん下がっていき、県単位で実施される模擬テストで最下位から2番目の順位を取るなどし、大学を受験できる状態から次第に離れていきました。わたしには妹がいて四人家族なのですが、家庭崩壊寸前のような感じで、父母か母から父へのDVが横行していましたし、加えて場面緘黙の私と妹の中も冷え切って、互いにいがみ合うような状態でした。そんな状態から、大学には行かず、音響関係の専門学校へ進みました。本心ではありません。今でも幼少期の虐待のトラウマが時々蘇るのですが、「人と話さないといけない」ということが頭の中を支配し、本心では
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ホントに1分でもよいですよ(^^)

家では喋れるのに、なぜが外へ出ると喋れなくなってしまう。会社の上司に注意されると、返事ができなくなってしまう。お店でメニューの注文したいけど、喋って注文できない。など…特定の場所で喋ることが出来ない方がいるんです。場面緘黙(かんもく)というのですが、※場面緘黙(かんもく)は、学校や職場など特定の社会的場面で話すことができないという症状のある精神疾患です。すべての場所で話せないというわけではなく、家庭など他の場所や場面では問題なく話すことができます。私も幼い時は、学校の授業中ひと言も言葉を発さない子でした。私の場合ほ場面緘黙では無いけれど、喋らないといけない場面で何も言えない、どんなに先生が優しく話してくれても返事が出来ない。そういった子どもの支援もしたことがありました。なので、『電話をかける』という行動がどれだけ凄いことなのか!!よーく分かるんです!何も話題が無くても、自分の調子がどんな感じなのかだけでも何でも良くてただ、電話をかけることの練習のつもりで1分だけでもあなたの声が聞けると嬉しいと思っています(^^)
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訪問支援をする「場所」が嫌な長女

皆さんこんにちは。過去のブログにも記載の通り、長女(場面緘黙症)の中学生になってから第1回目の支援会議を行ってきました。今後の支援の進め方等を学校の先生方と院長と、話し合いました。小学生の頃も支援はしていたので、引き続きやるということで長女とはきちんと話をして了解を得ていたので、その方向での支援会議だったんですが・・帰宅して、長女に「来週から月2回支援会議またスタートするね、頑張ろうね、場所は相談室だよ」と伝えたら・・「相談室!?無理無理無理!!!!!だってその近くみんな通るし、終わってから廊下でると絶対見られるからいや!!!!やりたくない!!無理無理無理泣」とそれはそれは大泣きでした・・・きちんと学校でやることも話していたし、了承も得たのですが、いざ実際に中学校生活が始まると、やはり他校から来た同級生の子達からは、そのような姿を見られたくない意識が強くなってるようです。一番は、院長がおられるクリニックに放課後通うのがベストなんですが、これは支援当初から頑なに拒否しているので、今回ももちろんそれも無理でした。1対1のセッションにこぎつけるまで、数年かかって去年から取り組んでいるのに・・ここまで頑張ってきたのに。長女が将来生きやすくなるためにお手伝いしてきたのに・・という私の思いもぐちゃーとなり、昨日は娘とそのことで言い合いしてしまいました。その後、私は心を落ち着ける為にお風呂に入ったんですが、なんだか涙が出てきてしまって。長女にやってきたことは間違いではないと信じたいし、この子が自ら頑張っていろんな壁を少しずつ乗り越えてきたから今がある。そして周りの方が本当に本当に支えてくれた
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場面緘黙ものがたり~私の場合~

昨日お話しした、場面緘黙(かんもく)。私の場合を少し、お話しします。まず、幼稚園。記憶がおぼろげで、覚えてないです!ただ、みんなと一緒に歌を歌うとき、最初は声が出せませんでした。でも、祖父母参観日。おばあちゃんが来てくれているのを見つけたら嬉しくてその日から、声を出して歌えるようになりました。・・・が。小学校に入学。初めは、私と同じようにうまく喋れない子もいたけれど、そんな子達もだんだん普通に喋って笑って遊べるようになっていきました。私は、ひとりタイミングを逃してしまった!と思い、どうしたら喋れるの?と思い悩む日々が始まりました。
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第14回『Talking cafe 言葉の力』を配信させて頂きました。

第14回『Talking cafe 言葉の力』を配信させて頂きました。 今回は、癒しのペアレントカウンセラー中之園由美子さんをお招きして、場面緘黙(かんもく)症についてのお話しなどをお聞かせ頂いています。
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