絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

6 件中 1 - 6 件表示
カバー画像

場面緘黙(かんもく)とは

5月は「場面緘(かんもく)黙症啓発月間」です。なじみのない言葉かもしれません。この病気の定義は「他の状況で話しているにもかかわらず、特定の社会的状況において、話すことが一貫してできない」とされています。つまり「自宅など自分が安心できる場面では話せるけれど保育園や小学校などでは話すことができない」ということです。上に書いたような状況が一ヶ月以上続く場合、と定義されています。つまり、入学などで一時的に喋れない、というような場合は除きます。あなたの周りで、このような子どもさんはいませんか?中には、この病気を抱えたまま成人してしまっている人もいます。もし、このような人が周囲にいたら、しゃべることを強要せず、筆談などの手段でコミュニケーションをとってくださいね。なぜ、唐突にこのような話をしているかと言いますと私も、子どもの頃はこれで悩んでいたからです。当時は、今以上にこの病気は知られていなかったので診断とかは受けていないのですけれど。今は、そんな過去があったなんて信じてもらえないほど喋りますけどね。リンクは貼れないのですが、NHKのサイトなどにわかりやすく掲載されていますので検索していただけると嬉しいです。▶NHK  場面緘黙(かんもく)について知っておきたいこと▶非営利団体 かんもくネットご自分のお子さんについて、「もしかして」と思われた方、実際に診断を受けたけど悩んでいる、という方お話、お伺いします。医師ではないので診断もできませんし、自分の体験に基づいたお話しかできませんのでその点はご了承ください。男性との雑談的なチャットのやりとりが苦手なので、「女性限定」としていますが、お悩み等
0
カバー画像

内向型の原因は「HSP」だからではない⁉【家庭環境の影響】【場面緘黙・アダルトチルドレンについて】

こんにちは。 HSPおじさんのながいみつるです。 私は、幼少期から中学生まで、人前で話すことや自己主張することが出来ない「内向型」の性格で悩んでいました。 本日は、その経験をもとに、私がどのような理由で「内向型」になりどのようにして「内向型」を克服したのかについてブログを書いていこうと思います。【私が内向型になった原因と考察】内向型になるかならないかは、生まれついて共感性があるか(HSP)には関係なく、どんな気質の人でも共通して、家庭環境での親の接し方に原因があると考えます。 私が、いわゆる内向型と呼ばれる性質になった理由は、両親が厳しく親が子供のすべてを決めるという家庭環境が原因でした。 特に私が生まれた40年以上前の昭和の時代は、 実家を長男が継ぐという意識が強く、「長男の嫁」であった母にとって、跡取りで最初の子であった私の子育ては、相当なプレッシャーだったのだと思います。当時は学歴社会、受験戦争などの名残が強く、スパルタ教育、塾や習い事など親が子供に「期待」を過度に背負わせていた時代。 そんな中、私の母親も例外なく教育ママとなり、特に私に対しての接し方はヒステリックで、現在では虐待と言われるような暴力や人格否定などの罵詈雑言を受けて育ちました。 その為、私はそんな家庭環境の中、親に意見を言えば否定され叱られたため、幼少期から「自分から意見が言えない子供」に育っていったのです。 もちろん、親から意見を求められることはありましたが、 基本は「母の中に答え」があるので、それにそぐわない意見をしてしまうと「違う」と否定され、何度も正解が出るまで問答の繰り返し。 頑張って、母の期待
0
カバー画像

自己紹介と略歴

こんにちは。わたしの自己紹介と略歴についてお話します。わたしは、幼少期、特に母親からの虐待経験があり、いわゆる機能不全家族の育ちです。わたしの意思は尊重されず、受け入れてもらえないというのが当たり前の状態で育ちましたので、社会に出ると、自分に自信が持てない、周囲の目を極度に気にするといったことがわたし自身の行動力を妨げていたように思います。また幼少期、最近メディアが取り上げていましたが、場面緘黙(わたしの場合は家族以外の人と話せない、家族であってもその中に外部の人が一人でも入ると話せない)があり、そんな周りと違う自分を見た母から「友達と遊べ、喋れ」と言われ続けていました。中学になると大学受験を見据えて教育虐待が始まりました。普通なら子供の意見が尊重されて「〇〇のようになりたいので〇〇大学に行きたい」などという流れになると思うのですが、わたしの家庭では違うのでした。わたしの家庭では「何でもいいから有名大学へ」と言われていたので、私はただただ空回りするだけでした。高校での成績はどんどん下がっていき、県単位で実施される模擬テストで最下位から2番目の順位を取るなどし、大学を受験できる状態から次第に離れていきました。わたしには妹がいて四人家族なのですが、家庭崩壊寸前のような感じで、父母か母から父へのDVが横行していましたし、加えて場面緘黙の私と妹の中も冷え切って、互いにいがみ合うような状態でした。そんな状態から、大学には行かず、音響関係の専門学校へ進みました。本心ではありません。今でも幼少期の虐待のトラウマが時々蘇るのですが、「人と話さないといけない」ということが頭の中を支配し、本心では
0
カバー画像

ホントに1分でもよいですよ(^^)

家では喋れるのに、なぜが外へ出ると喋れなくなってしまう。会社の上司に注意されると、返事ができなくなってしまう。お店でメニューの注文したいけど、喋って注文できない。など…特定の場所で喋ることが出来ない方がいるんです。場面緘黙(かんもく)というのですが、※場面緘黙(かんもく)は、学校や職場など特定の社会的場面で話すことができないという症状のある精神疾患です。すべての場所で話せないというわけではなく、家庭など他の場所や場面では問題なく話すことができます。私も幼い時は、学校の授業中ひと言も言葉を発さない子でした。私の場合ほ場面緘黙では無いけれど、喋らないといけない場面で何も言えない、どんなに先生が優しく話してくれても返事が出来ない。そういった子どもの支援もしたことがありました。なので、『電話をかける』という行動がどれだけ凄いことなのか!!よーく分かるんです!何も話題が無くても、自分の調子がどんな感じなのかだけでも何でも良くてただ、電話をかけることの練習のつもりで1分だけでもあなたの声が聞けると嬉しいと思っています(^^)
0
カバー画像

場面緘黙ものがたり~私の場合~

昨日お話しした、場面緘黙(かんもく)。私の場合を少し、お話しします。まず、幼稚園。記憶がおぼろげで、覚えてないです!ただ、みんなと一緒に歌を歌うとき、最初は声が出せませんでした。でも、祖父母参観日。おばあちゃんが来てくれているのを見つけたら嬉しくてその日から、声を出して歌えるようになりました。・・・が。小学校に入学。初めは、私と同じようにうまく喋れない子もいたけれど、そんな子達もだんだん普通に喋って笑って遊べるようになっていきました。私は、ひとりタイミングを逃してしまった!と思い、どうしたら喋れるの?と思い悩む日々が始まりました。
0
カバー画像

第14回『Talking cafe 言葉の力』を配信させて頂きました。

第14回『Talking cafe 言葉の力』を配信させて頂きました。 今回は、癒しのペアレントカウンセラー中之園由美子さんをお招きして、場面緘黙(かんもく)症についてのお話しなどをお聞かせ頂いています。
0
6 件中 1 - 6
有料ブログの投稿方法はこちら