自己紹介と略歴

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こんにちは。
わたしの自己紹介と略歴についてお話します。

わたしは、幼少期、特に母親からの虐待経験があり、いわゆる機能不全家族の育ちです。わたしの意思は尊重されず、受け入れてもらえないというのが当たり前の状態で育ちましたので、社会に出ると、自分に自信が持てない、周囲の目を極度に気にするといったことがわたし自身の行動力を妨げていたように思います。

また幼少期、最近メディアが取り上げていましたが、場面緘黙(わたしの場合は家族以外の人と話せない、家族であってもその中に外部の人が一人でも入ると話せない)があり、そんな周りと違う自分を見た母から「友達と遊べ、喋れ」と言われ続けていました。

中学になると大学受験を見据えて教育虐待が始まりました。
普通なら子供の意見が尊重されて「〇〇のようになりたいので〇〇大学に行きたい」などという流れになると思うのですが、わたしの家庭では違うのでした。わたしの家庭では「何でもいいから有名大学へ」と言われていたので、私はただただ空回りするだけでした。高校での成績はどんどん下がっていき、県単位で実施される模擬テストで最下位から2番目の順位を取るなどし、大学を受験できる状態から次第に離れていきました。

わたしには妹がいて四人家族なのですが、家庭崩壊寸前のような感じで、父母か母から父へのDVが横行していましたし、加えて場面緘黙の私と妹の中も冷え切って、互いにいがみ合うような状態でした。

そんな状態から、大学には行かず、音響関係の専門学校へ進みました。本心ではありません。今でも幼少期の虐待のトラウマが時々蘇るのですが、「人と話さないといけない」ということが頭の中を支配し、本心では音楽に興味を持っていたのと、育った環境から音楽療法や編曲などに興味があったのですが、いろいろな職種の人と関わって一つのステージを作り上げるという音響のコースを選んだのでした。

卒業後はホテルの宴会場などで音響照明を担当する会社に入りましたが、とにかく自分に自信が持てない状態でしたので、自分でものごとを決めるということがとにかくできませんでしたので、当然のようにイベントを企画するなどということはできません。挙句の果て、自主退社を促されたのでした。

その後も、人と関わる仕事を続けようという意思は変わらず、ホテルマン、レストランなどを経験しましたが、その過程で無理が祟り27歳の時にうつ病と診断され、現在に至り、うつ病歴17年目を迎えております。うつ病との付き合い方ですが、わたしは、これが治るとは思っておらず、生涯つきあっていくものだと受け止めております。

うつ病と診断されてからは、回復時に介護関係のボランティアに関わったところから介護関係へ転職し、うまくいったかのように見えたのですが、デイサービス、訪問、特養と経験し、特養での勤務の時、人手不足などが影響し、再び体調不良になったりして、総合的に振り返ると仕事が5年以上続いたことがありません。

一方で幼少期虐待をしてきていた母親は長文メールを一日に何度も送ってくるほどの過干渉で、私を悩ませていたのですが、昨今、毒親というワードがよく聞かれるようになった頃、あるユーチューバーの方が「親は捨ててもいい」と仰っていて、それまでは、親の介護を義務のように感じていてとても苦しかったのですが、2020年11月、電話とパソコンでできる連絡手段をすべて遮断し現在に至ります。

私は音楽関係の出品を上げさせていただいておりますが、中学~高校にかけてクラシックピアノ、24~26歳にかけてクラシックピアノとジャズピアノ、30歳頃からクラリネット、フルートなどを経験し、現在に至ります。また音楽理論などは専門学校の時にも少し習いましたが、ほとんど独学でやってまいりました。

このようなわたしですが、何かみなさまのお役に立てることがあればよろこんでさせていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
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