世の中のカラクリではなく、自分が見つけたカラクリを大事にする
カラクリ=仕掛け=構造みたいなことですね。ただ、理解として例えばあるサービスや商品の「原価」を知っているかどうかってそれはそれでいいんですよ。しかし「これ原価10円なのに、100円なんだよ、ぼったくってるよね」という意見(事実は前半で、意見が後半)に収れんというか、まとめちゃうのは思考停止なんだろうと。伝わりますかね?原価厨みたいな人ならいいのですが、いいのか?というとまあおいておいて(笑)自分が仮説を立ててそれっぽいかもなあという程度(これって絶対でもないですからね)がいいのかなと。バランスですね。ちょっといくつか示してみます。挨拶をする人は元気である例えばこういう話です(笑)挨拶をして挨拶が返ってくるかどうか。挨拶って「おはようございます」というものから、「お元気ですか」とか色々ありますよね。これで挨拶があるかないかとか、ボリュームとか、トーンとかを見て「判断」するってことでなく、この説?が成立するかどうかってイメージです。挨拶をして、挨拶がない人は、挨拶できない状況かもしれないし、疲れているかもしれない。ジェスチャーとか、お辞儀をするだけってのもあるのでこのあたりは色々あると。では、挨拶をしたら元気なのかというと、「元気がない挨拶」というのもあるわけなので、このあたりから「この説」は難しくなってくる。思考実験みたいなことを書いていますが、「挨拶をする人は元気」というのは、あまりいえないかもなあというのがわかります。一方でそれが通用するとか、人とか、時間帯とか、コミュニティとか、色々あるよねというところです。営業色が強い会社だとその声が小さいとやり直しなんて(かなりやですが
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