ギフテッドは理解してもらえるか? ~認知、理解、共感に立ちはだかる高い壁~
ギフテッドって、ままぱんだが調べ始めた頃に比べたら、かなり知られるようになってきたな~と感じています。いま高校生の子ぱんだ1(ギフテッド)が小1のときなので、もう10年前になるんだなぁ。あの頃、「ギフテッド 特徴」って検索して、来る日も来る日も調べていたままぱんだ。一つでも多く、情報がほしくって…。ギフテッドだったら、この先どう育てていけばいいのか?実際にギフテッド児を育てている人(海外在住だったかな)のブログを、何度も何度も読んでいましたね。日常が知りたかったから。体験談を知りたかったから。まるで真っ暗闇の中を手探りで進んでいくような日々でしたが、当事者家族のブログは「あ~、あるある!」「まさにそれ!」といたく共感したのを覚えています。さて、今回は【ギフテッドは理解してもらえるか?】について熱く語ります。昨今、文科省でも「ギフテッドが大学で授業を受けられる」制度案が示されていますが…。果たしてギフテッドは世の中で理解されるのでしょうか?「理解」の前に、まずどのように思われているか?問題ギフテッドって、なに?―― そう聞かれたとき、あなたはなんて答えますか?天才、異才、異能、変わってる、なんでもできる、などなど。ニュースなどでは「特異な才能を持つ子」「特定の分野で突出した才能を持つ子」と表現されることが多いようです。というと、すごいね!って思われがちなんですけど、「特定の分野で突出した才能がある=それ以外も普通にできる」とは限らないのですよ。むしろできない、またはできてるように見えても本人はものすごい違和感を覚えているケースが多いです。多大なエネルギーを使って擬態していたりね(
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