悲劇を喜劇に変える力―「相手は相手、自分は自分」という最強の武器
前回のブログでは、マニピュレーターが巧みにストーリーを作り上げることについてお伝えしました。そのストーリーに巻き込まれたことがある方なら、こんな感覚を覚えているはずです。「頭ではわかっている。あれは相手の問題だ。私のせいじゃない。」それでも、相手が不機嫌になるたびに胸が締め付けられる。相手が悲しんでいるフリをすると、自分が何か悪いことをしたような罪悪感に苛まれる。論理では「関係ない」とわかっていても、感情がついてこない。なぜこんなに難しいのでしょうか。アドラーは100年前に答えを出していた「嫌われる勇気」を読んだことがある方なら、アドラー心理学の「課題の分離」という概念をご存知かもしれません。シンプルに言えば、こういうことです。「これは誰の課題か?」相手が不機嫌なのは、相手の課題です。相手が怒っているのも、相手の課題です。相手があなたについて「あいつはおかしい」というストーリーを作り上げているのも、相手の課題です。あなたが引き受ける必要は、一切ありません。アドラーはこうも言っています。課題の分離は「冷たくなること」ではない、と。相手の課題を引き受けないことと、相手に無関心であることは、まったく別のことです。でも、なぜこんなに難しいのか頭でわかっていても、感情がついてこない。その理由を心理学者のジョナサン・ハイトはこんな比喩で説明しています。人間の心は「象」と「乗り手」で成り立っている。感情という名の象がどこへ行くかを決め、理性という名の乗り手は象が行った後で、その理由を後付けするだけです。ーJonathan Haidtつまり、感情が先に動き、理性は後からついてくる。人間はそのよ
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