人は「無駄」でできている
「無駄なことをするな」「効率よく生きなさい」「タイパが大切」そんな言葉に、いつの間にか私たちは囲まれるようになりました。時間を無駄にしないこと、遠回りをしないこと、失敗をしないことが、まるで正解であるかのように語られる世の中です。でも、ふと思うことがあるのです。人は、本当に「無駄を削ぎ落とした先」に、幸せを見つけられるのでしょうか。私はむしろ、人は無駄なものの蓄積でできているのではないか、と思っています。無駄だと思っていた経験。意味がないと思っていた時間。誰にも言えずに抱えてきた遠回りの道。それらすべてが、振り返ってみれば「今の自分」を形づくる大切な材料になっていることに、気づく瞬間があります。たとえば、二度と使わないと思っていた知識。報われなかった恋。うまくいかなかった挑戦。何も生まれなかったと思っていた空白の季節。その一つ一つは、当時は「無駄」だったように見えても、後からじんわりと意味を持ち始めます。あの経験があったから、今の考え方がある。あの失敗があったから、人の痛みがわかる。あの空白があったから、ようやく自分に戻れた。無駄とは、経験の種のようなものなのかもしれません。そして、無駄なものは「余白」でもあります。心の余裕でもあります。いつも効率よく、正しく、完璧でいようとすると、心はどんどん痩せ細っていきます。やるべきことに追われ、意味のあることだけを選び、価値があるとされるものだけに時間を使う。その生き方は、賢く見えるかもしれません。けれど、その中で心が置き去りになってしまうこともあるのです。意味もなくぼうっとする時間。目的もなく散歩する午後。生産性のない趣味。お金になら
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