科学史の必要性
人に歴史ありでもそんなの暦の世界でいえば神様の手近にいた人でもそれは細かな年代は置いておいて同世代の人英居を受けた先輩 一緒に研究した仲間が現れそして分岐し新しい理論が出現する。ガリレオ―ニュートンの世界でもドイツで同じことを研究している人たちがいるこうしてみると知覚的な収束と拡散を生みそして、根底は哲学がくさびを打つ。哲学なき科学は平気で自然をぶっ壊す哲学や進学が科学にくさびを打ち平静を取り戻すそれがあるとき哲学から化学の学問から消えた。神などもともといなかったことになり、エーテル的な思考もアインシュタインによってなきものとなった。なんでもそうだけどそもそも論は必要でそのそもそも論は科学史となる学校は唐突に公式を突き付けて覚えろとやるがそこまで行きつくまでに何十年もかかった背景の歴史と時代とかを学ぶべきである。こまごまに勉強しているから頭に入らない。学校教育が悪い中国四川に7月終わりに行って汗だくだくで昼に食った麻婆豆腐、蒸篭(せいろ)に盛った蒸米(むしまい)に載せて食べるとこんなうまいものが世の中にあったのか?ということになり、なるほどしびれる山椒、辛くて飛び上がりそうなラー油しかもあの店はオレンジと赤の唐辛子が乗っていたバスタオル持っていき顔の汗をぬぐいながら食べて食べ終わるころにすっきりしたものだそうやって体感して学ばねば頭だけでは追っつかない奴等もいる秦嶺・淮河線も四川の主な食事は米と豚であり、北京に近いと小麦と羊である 旧満州地区というともろこしである。トウモロコシは 唐の国の高キビといって東三省(とうさんしょう)といって、奉天省・吉林省・黒竜江省で主食となったそう
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