「羽雲(はぐも)の手紙」
夕暮れの空に、ふわりと羽のような雲がひとすじ流れていた。 街路樹の向こう、夕日を受けて淡く染まるその形は、まるでどこかへ急ぐ鳥の翼のよう。 奈央さんは、ふと立ち止まった。 今日一日、職場でも、駅でも、家に帰る途中でも、人の言葉が胸に積もっていた。 心配してくれる声も、何気ないひと言も、時には棘のような言葉も── 全部まとめて抱え込んだら、息が少し重くなっていた。 そのときだった。 目に飛び込んできたのは、空を軽やかに駆けていく羽雲。 まるで「もう手放していいんだよ」と言われたような気がして、胸の奥にそっと風が通った。 ——ああ、空はこんなにも軽やかに、今日を終わらせようとしているんだ。 振り返ると、茜色の光が地平線に沈みかけている。 明日もまた、同じように日は昇り、空は違う形で微笑みかけてくれるだろう。 そう思うと、肩に入っていた力がふっと抜けた。 ゆっくり息を吸い込み、小さな声で「ありがとう」とつぶやく。 その瞬間、不思議なことが起きた。 雲の形が少し変わり、翼の先がくるりとこちらを振り返るように見えたのだ。 まるで空から手紙が届いたみたいに──「ちゃんと受け取ったよ」と。 奈央さんは、笑みをこぼしながら夕暮れの道を歩き出した。 背中には、まだ羽雲のあたたかな風が残っていた。
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